京の都

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 元々公方義政は、将軍就任当時には積極的な政務をとっていたようだが、数代前から続く側近と守護大名の対立や、各地の有力守護大名の反乱、その家臣や守護代の台頭などが相次いで起こり政治的混乱が続いていたためか、当初の志を捨ていつしか能や猿楽などに没頭してしまい、煩わしい政治は奉行衆・奉公衆の新九郎の属する伊勢一族と管領の細川や四職家の山名にまかせっきりになっていた。  さらに悪いことには二十九歳になっても世子がなかったため、将軍職を弟義視に譲ると約束していたのだ。  後に義政に男子、義尚が生まれたことが切っ掛けとなり、犬猿の仲だった西軍の山名宗全と東軍の細川勝元を筆頭とする二大勢力がそれぞれの将軍後継者を推して天下騒乱の元にしてしまった。
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