京の都

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 義視は還俗した後今出川の屋敷に入り、管領の細川勝元が後見をしている。その事から市井では、義視を今出川殿と呼称する場合がある。  そして新九郎の父盛定も将軍義政の駿河国主申次衆として仕えていた。親子で反対の勢力に付いていた事になる。  新九郎の年の頃は三十を越えたくらいであろう。物静かで公家のような丸い顔立ちをしているが、馬や弓の上手だったらしく日焼けした肌は浅黒い。また、眼光が鋭く相手を射抜くかのような目をしている。  子はまだない。  当時三十歳を越えた年齢で子がいないのも珍しいが、本人は特に気にする様子もないようだ。
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