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「あのライブハウスの話を聞いたのは、父がまだ元気だった頃なんです。父は元々あの近隣の名もないような貧民街の出身でした。日雇い労働が終わった後、仲間とその日の労をねぎらいあうのが最高に楽しい時間だったそうです。特徴的な名前だったので、すぐにわかったんです」
「そうなんですね」
「あ、俺トイレ、トイレ行く」イズミが突然立ち上がって浮ついた顔で部屋を出て行った。「すみません、行儀が悪くて」とウズラは言いかけて、戦慄した。イズミを見送る青年の冷ややかな瞳を見て、氷水をかけられたように背筋が通った。
「あのリビングの半分を占拠していた札束の山、初めての人にはあれ異様でしょ。あ、でも不法なことで儲けたお金ではないんですよ。暴力も薬も不正も不平等もしていない。本当の意味で何もせずに、手に入れたお金なんですよ。ウズラさん、でしたっけ?」
「はい!」「ウズラさんは、魔法とか呪いとかって信じます? あ、宗教的なタブーとは別で」「えっと」
「あの札束ひとつひとつが、100ドル紙幣が100枚なんですけどね。実はあれ、毎日この部屋のどこかに置いてあるんですよ。置いてあるんです。場所はいつも違うんですけど、テーブルの上とか、洗面所の隅とか、靴箱の中とか。いつの間にか、気づいたらあるんです」
バカみたいな話でしょ? 青年の笑顔の中の瞳は、どこか虚ろだった。
「ここに移る前から。おそらく父が亡くなった直後から私は何がしかの魔法を受け継いだんです」
だから、安心して受け取って下さい。父の思い出の場所を守りたいというちょっとした気まぐれをしたいだけで、コンプライアンスは何も問題ないはずです、と青年は言って筆を置いた。
「ただ3週間待ってほしい」
ウズラは生唾をかろうじて飲んで喉を湿らせ、訊いた。
「すみません今までのお話を完全には整理しきれていません。おとぎの国の出来事のようで」
わかります、と言った青年の背後で老執事もまた、わかりますと頷いた。
「ただ、今のお話の中で、その期間の指定だけが事務的な現実感を帯びていて。すみません、言葉がまとまらなくて。自分でも混乱しているのはわかっているのですが。すみません、その期間の理由を聞いてもいいでしょうか」
「もちろん。大丈夫ですよ」
商談成立の証にブランデーを、と老紳士に命じながら青年は話し始めた。
「それはあのお金にかかっている呪いに関係があるんです」
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