第1章

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      鞘火   失われた土曜日                            唐草燕      1日目  火曜日 永森さやか。それがぼくの名前。正確にいえば火曜日と土曜日のぼくの名前。 ぼくには曜日ごとに決められた人格が存在し、少し前までは、7人が交代で、永森さやかの肉体を利用して生活を送っていた。 わかりやすい概念でいえば多重人格、専門的にいえば解離性同一障害という言葉がそれに近いのだろうけど、そういったものともちょっと違うとぼくは思っている。 医者に診せたわけではないから、どう違うのか詳しく説明しろといわれても困るのだけれど、一ついえるのは、後天的な心的外傷から、こういう体質になったわけではなく、生まれつきこうだったということだ。なんというか、心が2つあって、主人格と副人格に別れている感覚だ。 とはいっても、最初から7人いたわけではなく、小さな頃は、容量的にはせいぜい二人か三人程度だったように思う。多重人格という言葉すら知らなかったし、その程度なら、周りから見ても、少し感情の起伏の大きい子供という目で通るので、9歳ぐらいまでは、ぼくは他人とは違う、自分のおかしさを特に意識せず、平和に暮らしていた。 ぼくが、ようやく自分の中に何人もの自我があることに気付いたのは、おそらく小学3年生の時だったと思う。それから思春期に差しかかり、今までとは比べ物にならないスピードで心が成長するに伴い、人格もしだいに増えた……というよりは、元から備わっていたものが枝分かれして固まっていき、曜日ごとにそれぞれ担当できるほどにまでなったというわけだ。 こんな特異体質にも関わらず、医者に診せていないのには理由がある。 一つは、生活に特に支障がないこと。 永森さやか。つまりぼくは基本人格だから、主人格と副人格、どちらかの心にはいつも居座っていて、このおかげで、記憶が途切れ、日常生活に困るということはない。いわゆるこの体の管理人的役割をしているというわけだ。
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