第1章

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仮に基本人格のさやかの感情を、水曜日の私に伝えるというのなら、それほど困難ではないし、なんとなく把握できる部分はある。でも、他の曜日の人格、例えば、月曜日のかぐやの気持ちを、さやかを通じて、私が正確に知ることは難しい。それこそ間接的というか、ディスカッションと想像で補うしかなくなるからだ。 そのため、結局は時間もかかり要領をえないので、だいたいは日記で、その日起こった事象だけを把握する場合が多い。何を食べたとか、誰とどんな話をしたとか、肝心な事象さえ覚えていれば、必要に応じて、あとは、そこから糸を手繰るようにさやかの記憶も鮮明になり、結果、私の言動に繋がるという仕組みだ。 ウェンディというのは、当然、水曜日という文字の英訳に由来して、というかもじってつけられた名前だ。確かに私達には、日本人以外の血も少しは流れてはいるが、だからといって、別に外国人の人格というわけじゃない。まあ、モチーフとしてはいささか単純だけど、わかりやすくて私はいいと思う。最初はなかなか馴染めなかった名前の響きも、今ではけっこう気に入っている。 月曜日のかぐやにしてもそうだし、基本的に私達は、曜日ごとにイメージされた名前がつけられている。   かぐや姫に、ピーターパンに出てくるウェンディ。まるで、お伽話の世界ね。とも思うのだけど、どうにか私達をまとめあげ、懸命にハンデを乗り越えようと頑張った、当時中学生だったさやかを、誰が責められるというのだろう。  《さやかはがっかりしなかったみたいだけど、私は正直がっかりしたわよ。だいたい何なのあのインチキパーマみたいな髪型。私はあの女の子みたいにきれいなストレートがお気に入りだったのに。早く前に戻して欲しいものね。それじゃ行ってきます》  映像的な記憶というのは、副人格のさやかの記憶を通して薄っすらとは伝わるので、私は、昨日の修平の顔をぼんやり思い出して、軽めに日記の返事を書いたあと、ショートに揃えた髪にワックスをつけ、ブローしてから、トートバッグを肩に下げ家を出た。 家から大学までは、電車と徒歩で70分といったところだ。 決してそこまで遠くはないのだけど、最近引っ越そうかなと考えている。 母が心疾患で亡くなって1年が経つ。私ももう自分で稼げるし、自立できる年になった。
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