その1

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 優香は教科書の類をトランクケースにしまうと席を立つ。 「気を付けて行ってらっしゃいね~」  優香が何をするつもりか、察した蓮美はハンカチを振って彼女を見送る。優香は仏頂面であったが、顔は真っ赤になっていた。乱暴に教室のドアを開けると、トランクケースを持って真っ直ぐ、一階の保健室に向かった。最初は普通の歩幅だった足取りも段々と速くなる。  中央階段を下り、すぐ下の階、一階の保健室の前に到着すると、優香は間を入れずドアを乱暴に開ける。 「矢子先生!」 「はぁ~い。優香ちゃん」  事情をすでに察しているのか、矢子はタバコを銜えてニヤニヤしながら保健室に入ってきた優香を出迎える。その笑顔に優香は余計に腹が立ってドカドカと床を踏みならして矢子に近づく。教職員といっても優香とは四、五歳しか離れていない彼女は優香にしてみれば、教員というよりは姉御といったところか。だから、人がいなければ遠慮なく文句を言える関係だ。  トランクケースを横に置いて、 「なんて、噂を流してくれているんですか!」  矢子と対峙するなり優香は声を上げた。妙な噂の根源である矢子は吸っていたタバコを灰皿に押し付け火を消すと、両手をちょっとだけ挙げて、 「何のこと?」と、白々しい態度をとってごまかそうとしてた。 「何のこと・・・じゃないですよ!蓮美が言ってましたよ!矢子先生が噂を色々流しているって!それでも先生ですか!」 「いいでしょう。遅かれ、早かれ、そうなると私は予想しているのだから」 「だ~か~ら、先生の個人の意見を本当のことみたいに校内に流すのやめてください」  事実なら、まだしも嘘の情報まで撒かれるのは優香にとって迷惑でしかない。確証もない噂話なのでホワホワした内容だ。努と優香の性格を知っていれば、ほとんど嘘だろうと思うが、人の中には事実と受け止めてしまう者もいる。そうなってしまっては、手遅れなのだ。その前に、噂の根源を叩かなくてはならない。
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