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高度成長期に伴い開発が進む、夕海町のベッドタウン『サンセット』の一角にある新居前に車が一台留まる。
不動産の業者は不思議に思ったことだろう。普通、新居を購入したのならば昼間の内に引っ越しを始めるものである。にも、関わらず、その家に入居する人は、その家に越してくる時間を夜中にした。荷物は多くなく、自家用車で運べるほどだから問題ないと言っていたが、時間帯があまりにも不自然であった不思議に思った業者であったが、その理由を追求することはなかった。手続き上は何ら問題もなく、頭金も支払えてもらえたから。ローンについては銀行と購入者のやりとりなので、それ以上の言及はしない。第一、夜中に引っ越してはいけないという法はない。
車から降りてきた人はこれから過ごすことになる新居を目の前にして、何を思っていたのだろうか。身なりの整った背広をきた褐色肌の二十代半ばの彼は一度、見てから目線を車に移した。だが、車には誰もいない。誰もいないが後部座席の片側が不自然に空いていた。そこだけ、荷物を積まずいにいた。まるで、誰かを乗せているかのように。
「そうだな。この町・・・この町なら・・・」
彼は独り言のように呟きながら新居から海を眺める。もし、夕暮れ時に夕海町を訪れていたのならば綺麗な夕日を見ることができただろう。夜の海面は岸壁に取り付けられた照らされて光が揺らめいているだけでしかない。これでは、せっかくの魅力が半減してしまうではないか。
夕海町の観光財源の一つを見逃しはしたが、彼に後悔はなかった。夕焼けなど好きな時にいつでも見ることができるのだから。それより、今、彼には他にやるべきことがあった。
後部座席のドアを開けると、誰もいない車内に手を伸ばす。
一瞬、白い手のようなモノが見えた。絹のように透明な白い手が。今にも消えてしまいそうな、その手をソッと彼は優しく握る。
「大丈夫だ。ここなら、約束は必ず守る。その時が来たら・・・」
彼は少し目を伏せる。その瞳にうっすらと悲しみに曇る。
「一緒に死ぬから」
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