忘れたい記憶

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薬の匂いのする真っ白な部屋で、ちなつは俺を真っすぐ見て言ったんだ。 「できればもう………来ないで欲しいんですけど………」 敬語の抜けきらないちなつの言葉に、俺はただ立ちつくした。 以前にも増して細くなったその肩が密かに震えているのを見ながら─── 2週間前のことだった。 いわゆるそう、浮気現場に出くわされてしまった。 俺の部屋にいたあられもない姿をした女と俺を見たちなつは、逃げるように部屋を飛び出した。 素っ裸だから追いかける訳にもいかず、クスクス笑う女をなんとか部屋から追い出した。 ちなつとは互いの両親にも挨拶を済ませ、先月婚約し、結婚に向けてスタートしたばかりだった。 ………ただ、魔が刺したんだ。 付き合って10年。 互いに初カレ&初カノ同士の結婚。 結婚前に他の女もちょっと知りたかっただけなんだ。 サイテーだけど、ちなつのことが嫌いになった訳でもない。 むしろ他の女を知るごとに、ちなつの良さを思い知るばかり。 一人の女しか知らないまま結婚する自分に焦りを感じた、アサハカ過ぎる行動だった。 うまい言い訳が思いつかないまま、2時間後。 俺の携帯が着信を告げた。 相手は───ちなつではなく、ちなつの父親からだった。 ついに、婚約破棄か!? そんな覚悟を持って出た電話から聞こえてきたのは、焦ったようなちなつの父親の声。 『ちなつが事故に遭った………』 動揺を隠せないちなつの父親の話を聞けば、どうやら俺の部屋を飛び出した後、車と接触したらしい。 幸い、怪我は左腕の骨折と擦り傷で、命に別条はないとのこと。 それでもちなつのことが心配ですぐに俺はちなつが運ばれた病院へと向かった。 病院へ向かう車の中、ハンドルを握る手が震えていた。 ………怖かった。 ちなつを失うことがこんなにも怖いなんて思わなかった。 俺はちなつが何よりも大切なんだと思い知った。 謝ろう。 もう二度と浮気はしない。 ちなつだけを一生愛することを誓う。 そう心に決めて開いた病室の扉。 そこには両親と微笑みながら会話をしているちなつの姿があった。 意識が戻ったんだ─── ホッとしたのもつかの間、ちなつの言葉に俺はまた頭の中が真っ白になった。 「………あの、どちら様、ですか?」 ───ちなつは、俺のことだけ記憶を失っていた。
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