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「何か言いたいことはあるかね」
「いいえ」彼女は首を横に振る。
「今までありがとうございました。私はここを去ります」
「残念だよ。我が校でなければあるいはと思う。――もし君が望むなら、余所を紹介しよう。話もつけよう」
幸子は静かに首を横に振った。
「今までありがとうございました」同じ言葉を繰り返す。
春を思わせる陽射しがガラス板を通して部屋を満たす。では、と一礼した去り際、柊山は問う。
「覚えているだろうか。見合いの話。考えてくれたかね」
これも首を横に振る。答えは『否』だ。
「何故だ。彼は君を憎からず思っている。君も同様だと――違うのかね」
「ええ、違います。私は先生が誰のことを仰っているのか、わかりかねます」
「それは、君」
「先生!」
幸子は柊山の二の句を遮った。
「すみません、話の腰を折ります。これ以上何も仰らないで下さい。私は、初めてこちらに伺った際、誰の元にも嫁がないと申し上げました。その気持ちに変わりはありません。私は――先様のお名前も伺っていない、会ったこともない方の縁談を勧められ、お断りしました。先生も引き合わせなどなさらなかった。何もなかったんです。当然、進展もありませんし、相手の方との縁ははじめからない。――そういうことにさせて下さい」
「野原君、君はそれでいいのか」
「はい」
「君が白紙にしたいというのであれば、私はあれに別の話を用意する。それでもかまわないと」
「元から縁がなかったんです。私は――武君に相応しくありません」
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