海原十月 其の一

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 瑠華は自身の頭の上で両手をぱたぱたと振るった。このことあるごとに発せられる「にゃー」が彼女を「にゃんこ」たらしめている最大の理由であった。 「おお。今日はちゃんと隠せてるみたいだな。最近はそういう形のヘッドフォンが売って……」 「違います!本物です!店長のバカ!」  今度は自身の耳を引っ張ってみせる。この漫才も最近では日頃の楽しみの一つである。    ちなみに店長というのは僕、加賀宮圭(かがみやけい)のことだ。全国に約三百店舗を構えるカフェ「クロス・ハーツ相神原店」の店長が約一年前に僕に与えられた肩書きだ。  僕がこの店の店長を任されるに至った経緯には些か奇妙な縁みたいなものがあるのだけれど、それはまた別の機会に。  現在この店の正社員は僕一名のみ。他は十三名のアルバイトで構成されている。相神原市は首都圏から私鉄で約一時間程のところにあり、市全体が四方を山々に囲まれた盆地の中にある。まるで日本の中に独立国家を築いているかのような状態で、交通の便の悪さからか市全体は首都圏に負けず劣らずの発展ぶりだ。  初めてこの街を訪れた際は山と山に挟まれたかろうじて単線ではない電車に揺られながら、本当にこんな場所に店舗があるのか、これは偉い場所に飛ばされてしまったのではなかろうかと不安になったものだが、電車を降りて一歩駅の外へ踏み出した時に、それまでの風景がまるで嘘だったかのように、発展した風景に驚かされた。  駅自体も数々のテナントを抱えた駅ビルになっているのだが、駅前にも大きなデパートを始め飲食店も豊富に立ち並び、ロータリーは路線バスが何台も往来し乗降客で賑わっていた。少し歩けば家電製品を扱う大手電気店や、ゲームセンター、映画館を始めとする娯楽施設も存在する。極端に言えばこの街から一歩も外に出なくとも生活するには不自由のない環境と言えた。また、そんな最先端の街並みに対抗するかのように古き良き商店街や寺社も存在し、幼少時代を思わせる懐かしい街並みも持ち合わせていた。  そんな市内の中でクロス・ハーツ相神原店は駅前から徒歩約三分。繁華街と住宅街のちょうど境目に軒を構えている。僕が今いるのは店舗の事務所にあたる一室で、六畳ほどの広さのアルバイトの休憩室に隣接する四畳半ほどの小さな個室だ。 「にゅー。酷いです。いつも事務所のお掃除だってしてるのはあたしなのに、この扱いは酷すぎます。意地悪です」
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