第五章

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「くそっ!あの野郎!」 弟への悪態・・・ いや。 その激しさと、込められた感情をして、既に”呪詛”とも言える声を撒き散らしつつ。 男はじゃばじゃばと水音を立て、ドブ川を進んでいる。 自宅の排水は、ここに流れ出る筈、である。 妹の姿を求め、右往左往していた、その時。 「ドブ攫いかい?」 「あ、いや・・・」 背後から掛けられた声に、何と応えた物か。 まさか、スライム状になった妹を探している、等とは言える筈も・・・ どかっ! 「!?」 男の思考は、途中で途切れた。 頭部に疾る、衝撃。 暗転する、視界。 「・・・」 遠ざかる水音を聞きながら、自分が襲撃を受けたのだ、と覚る。 一体誰が、等と心当たりを探る事など、しない。 彼は”殺し屋”なのだ。 自分自身が、いつか誰かの手で”こう”なる事は、覚悟の上とも言える。 『ああ・・・』 その代わり。 薄れ行く意識の中。 『これが・・・』 遠い過去の、映像が浮かぶ。 『走馬灯、ってヤツか・・・』 朱に染まった、教室。 散らばる、肉片。 その中央に。 返り血を浴びて立つ、弟。 振り向いた彼は。 いつもの、何気無い笑顔で。 やあ、兄さん、と男を呼ぶ。 もし、その笑顔が。 些かの気負いを映していたのなら。 いや。 せめて、邪悪なそれで、あって欲しかった。 弟は、ただ。 歩む先の、蟻を意識せず踏み潰すが如く。 ”それ”を、行ったのだ。 男は、泣いた。 場に膝を折り。 拳を床に叩き付けて、泣いた。 躊躇の一つも見せなかったであろう、弟。 止められなかった、自分。 止める力の無い、自分。 傷付いた獣の如く。 蹲って、うぅ、うぅ、と嗚咽を漏らす男の背中に。 変な兄さん、と言う、弟の笑い混じりの声。 それは、あの。 図書館の蔵書を巡った、級友の殺害の記憶だった。 ”だってあいつ、ぼくがかりようとしてたほん、もっていこうとするんだもん。” 『ああ・・・』 深い深い、絶望。 暗い暗い、奈落。 始めて感じたその時と同じ。 それの中に落ちつつ。 『誰か、あいつを・・・』 男の意識は、消えて行った。 『止めてやってくれ・・・』 その日、昼前。 頭に”鈍器と思われる”ちくわを一つ、めり込ませた死体が。 ドブ川に、浮かんでいた。
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