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女は首をかしげた。どう意味だろう、その気持ちで。
その気持ちを読み取ったのか、男は「あっ」と声を漏らし、苦笑いを浮かべる。
「あの、記憶喪失ならわかりませんよね。ギルドに一緒に行きましょうって意味です。そこのマスターに身元を保護してもらいましょう。見たところ、手持ちはなさそうですし、宿に泊まることができないと思うので」
「……なるほど」
その申し出は、女にとって有り難かった。裸足で、びしょ濡れで、記憶すらない、空っぽになったこの身ひとつで放り出された世界でどうしたらいいのかわからない。そんな状況下では、この男の申し出はまたとない道しるべだった。
「僕は、ルカと申します。あなたは?」
彼はにこやかにそう問いかけてくる。温かな風が、濡れた髪をサラサラと揺らしていく。ズボンの水気を切りながら、女は申し訳なさそうに微笑んだ。
「ごめんなさい……それも、わからないの」
「ええと、なら、そうですね。エヴァ、はどうでしょうか。記憶が戻るまで」
髪をほどき、手でギュッギュッと水気を絞る彼は、少しの逡巡ののちそう言った。エヴァ、意味は分からなかったが、それでも綺麗な響きのする名前。
トクン、と心臓を鼓動する。なんだか、それだけで新しい自分になれた気がした。
「……私がエヴァって顔かしら」
「……うぅ」
少しの憎まれ口。それに萎縮する彼に、笑みがこぼれた。彼は優しい人、そして単純な人なのかもしれない。そんなことを思って、彼女は微笑む。
「……でも、ありがとうございます。嬉しいです」
お礼に、彼は飛び切りの笑顔をくれた。それだけで、冷え切っていた心が温まった。
過去はわからない。何もわからない。ここがどんなところなのかとか、自分が何者なのかもわからない。わからないことだらけの世界、空っぽの体だけ残された世界。
「(……ここなら、願いが叶う?)」
根拠もなく、彼女はふとそう思った。無意識だった。
首をかしげる。何故そう思ったのかわからない。本当にわからないことだらけ。気味が悪かった。
「……え」
パーカーを脱ぎ、晒された腕を見て固まる。目を疑った。
「な、に……これ」
左腕、その内側。そこには、無数の傷が刻まれていた。
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