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結局、起案のどこが駄目なのかも訊かずに、それ以前に次長室にも立ち入らずに。
課に戻って、黙々と仕事をこなしながら終業時間を待ち、パソコン上のアラームが鳴ると同時に社を飛び出して、駅まで無心で歩いた。
電車の中で何を考えていたかも覚えていないほど。
九歳も離れてたらそりゃ、“女”じゃない。でも、藤次郎は“妹”と寝るのだろうか。“妹”とセックスができるのだろうか。
まさか、近親相姦ってヤツに興味があるのだろうか。
有り得なくもない。
藤次郎には姉も妹もいなくて、キョウダイと呼べるのは、ホスト崩れのような弟、秀次郎だけ。だから、一回り近くも年の離れたあたしに、間違って“女”を感じちゃったのだろうか。
「バカらし…」
藤次郎のために悩む時間さえも勿体なく思えて、早足で家路を急ぐ。
そして、ブルッと震えたバッグの中のスマートフォン。帰宅してからチェックしようと思ったけど、連続して震えているから、メールじゃないと判断してバッグを漁る。
どっかから見てるわけ?
そう呟きたくなるようなほど絶妙なタイミングであたしの携帯を鳴らした人物は、今ちょうど頭に思い浮かべていた、彼。
『由宇?』
「誰の携帯にかけてんのよ。あたし以外が出たらどうすんの」
『そういうツンツンしたところと、ベッドではデレデレしたところのギャップが最高』
「あんたとベッドに入ったことは一度もありませんけど」
『いーけどさ。ところで、』
「何の用?」
『…今から言おうとしたじゃん。あのさ、今から会えねえ?』
原因のわからない苛立ちを抱えたまま、コイツに会えって言うの?
「シュウ、仕事は?」
『終わったよー。今、お前んち向かってるとこ』
要件を言い終わるや否や、すぐに耳元で流れ出す無機質な連続音。
用意周到というか何というか、これが好きな人とか彼氏だったら嬉しいサプライズなんだろうけど。
残念ながら秀次郎にはそんな感情を抱けないから、全く嬉しくない。
「藤次郎なら部屋も掃除したけど…シュウならいいか」
えらく長い独り言。我ながら変なクセがついたものだと思う。
そして、気付いてしまった。
「あたし…」
部屋を掃除するのは、決まって藤次郎が来る日だった。
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