第1章

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私、安室浪江(アムロ、ナミエ)が友人から相談されたのは六月、梅雨の時期のことだった。じとじとした湿気が嫌な気分だったが、彼、若本靖史(ワカモト、ヤスシ)も梅雨の湿気に負けないくらいドンヨリとしていた。目のしたには隈、痩せこけた頬、フラフラと頼りない足取りの彼に何かあったのは、明白だった。 「どうしたの? そんなにやつれて、貴方、新しい家を買ったってあんなに喜んでたじゃない」 若本が家を買ったと聞いたのはつい、一週間前のことだった。古くて小さな家だけれど、立派な一軒家を手に入れたと電話があったのだ。そのときの彼は幸せいっぱいだったのに、今はその影すらない。彼はコーヒーを一杯、注文してそれをゆっくりと一口、啜ると、 「家が、家が怖いんだ」 とポツリと語った。家が怖い? と聞き返すと安本は言った。 「家に帰って、眠ると俺は家にいるんだ。そして誰かから逃げている。どこまでも、どこまでも逃げているんだ」 「逃げているって、それは貴方の買った一軒家なんでしょ?」 そもそも、それは夢なんじゃないかと言うが、安本はゆっくりと首を横にふるだけだった。 「もちろん、それは俺の家だ。けど、その家はどこまでも広がっているんだ」 まるで迷路のように広がった家で、安本は毎晩、えたいのしれない何かから逃げ回っているらしい。ガリガリと頭をかきむしる彼は追い込まれていそうだった。 『だったら、そんな家なんか、売り払ってしまえばいい』と言うことは簡単だったけれど、長年、バイトを繰り返してコツコツとお金を貯めて、やっと手に入れた彼に、ずうずうしく言うことはできない。 「俺は、俺は殺される!! 安室!! 助けてくれ。他の奴に相談したけれど、どいつもこいつもバカにして聞いてくれないんだ!!」 いきなり立ち上がった、安本に他の客や店員の視線が一気に集まった。 「わかった。わかったから、とにかく、落ち着け。今日は私の家に泊まれ、それからゆっくり考えよう。な?」 幼子をなだめるようにして、安本を落ち着かせ、喫茶店から私の部屋に来た。安いアパートだけれど、その道中で安本はいくらか落ち着いたようだった。絶えずブツブツと呟いているけれど、とにかく部屋に座らせた。 安本とは、中学生時代からの友人だけれど、けっして嘘をついたり他人を騙したりするような器用な性格ではない。バカな正直で生真面目な奴だ。中学生時代から付き合いのあるのは
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