第1章

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若本は答えなかった。答えられなかった。ただ、ブツブツと呟き続けていた。 「家が怖い。あれが来る。迷う」 と繰り返し、繰り返し。急ブレーキの音と運転手らしき男の叫び声を聞いたのは、そのあとのことだった。 事故ということになった。若本は重傷こそおったものの、なんとか峠を越えて、病院に入院、運転手の男も警察へ。関係者の私もいろいろと事情を聞かれたけれど、酒に酔った友人を追いかけていたらこうなったと答えるしかなった。錯乱したと答える以外に私に答えなんて残されていなかった。 まさか、友人が家が怖いと泣き叫んでいたなんてバカなことを言えるわけもなかったからだ。そういった数日をあわただしく過ごし、やっと若本の居る、病院へとお見舞いに行くと、そこは壮絶な光景だった。まず目に付いたのは、若本、身体中、包帯まみれのくせにギラリと目を見開いて、ベッドに縛り付けられていた。怪我人への対処じゃないと思ったが、看護師がそっと耳打ちしてくれた。 ああしてないと暴れる。家に帰ると、騒ぐあれほどの事故にあったのに数日で動けるのはおかしいと、気味の悪い物でも見るような視線に耐えきれず、私は看護師と話を打ち切り、病室をあとにした。 グルグルと頭が混乱していた。若本は、家を買った直後におかしく、認めてしまうのが嫌だった。ベッドにベルトで縛り付けられ、ギラギラとした瞳を天井に向ける、安本の姿が痛々しく、頭を振って思考を振り払ったときだった。 彼は曲がり角から現れた。病院なのに黒色のスーツ、髪を後ろでまとめている男の顔には作り物めいた、笑顔が張り付いていた。胡散臭い。こんな男と関わり合いになりたくないと目をそらして、通り過ぎようとしたが彼は立ち止まり、 「あの、ちょっといいですか?」 「…………はい?」 思わず返事をしてしまった。 「ああ、いきなり話しかけて申し訳ない。若本靖史さんの病室はどこか知ってますか?」 「…………なんで私に聞くんですか?」 「なんとなくわかるんですよ。貴女が安本靖史さんと知り合いなんじゃないかと思ったんです」 男のいうなんとなくという言葉を聞いたときほど、胡散臭いと思ったことはなかった。まるで、事前に調べていたような。 「だったら、どうだって言うんですか? 安本に会いに来たのならたぶん、無理ですよ」 話をできる状態じゃないからと私が言うと男はイヤイヤと手を振った。 「私は貴女に会いに」
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