第十章

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吐き気がした。 腹の中をぐるぐる掻き回されてる感覚。 気持ち悪い。 どうしたって前を見れない。 帰ろう。 流石に無理だ。 なんだこれ、なんなんだ。 吐きそうなのを必死でこらえ、口元を抑えながら席を立った。 大歓声の中、客席が大混乱しているはずなのに、俺の耳にはそれらが一切入ってこない。 一瞬、委員長が俺を呼ぶ声が聞こえた気がしたが、それもすぐ消えた。 ただキーンと耳鳴りが続いている感覚。 早く出よう。 急ぎ足で会場を後にする。 会場から出た瞬間、息すらまともにしていないことに気が付き、急いで深呼吸をした。 「きっつ…」 会場とは真逆に、静まり返る場外。 建物の隅の方に背を付け腰を下ろした。 靴の先端を見つめながら何度か深呼吸をしたら、少し落ち着いてきた腹の中の何か。 頭に置いた掌でくしゃりと髪の毛を掴むと、その拳を誰かが優しく包むのが分かった。 「そんな掴んだら痛いよ、凛ちゃん。」 顔をあげるとそこには朱がいた。 朱の顔を見て何故かホッとした俺は、その場に更にへたり込む。 「どしたの、会場飛び出して。」 俺の横に腰を下ろし、優しく問いかける朱。 どこから見てたんだ、全く。 「…ちょっと気持ち悪くてな。」 「星野くんと麗のステージ見て?」 「……。」 素直に答えることができない。答えたくない。 自分でも分かりやすいくらい体は拒否反応を示していたのに。 何が嫌なのかは分からない。でも、嫌だった。 「見てられなくて飛び出すくらいには嫌だった?」 その通りだ。 小さくうなずき、朱の手を掴む。 さっきから小刻みに震える手を、朱は握り返す。 これが今の俺の答えだ。 「凛ちゃん…もう諦めなよ。」 まさか自分が、こんな思いをするとは思わなかった。 それでもまだ、自分のこの感情を理解するのは難しい。 「分かんねぇ…ほんとに…」 少しの間、朱と二人で何も喋らず、ただ一緒に時間が流れるのを待った。 ようやく俺が落ち着いたところでゆっくりと腰をあげる。 「とりあえず部屋戻るわ。」 「…一つだけ言ってもいい?」 「何?」 「僕にすら何も言ってくれない麗だけどさ、それでも麗が好きなのはやっぱり凛ちゃんだと思うよ。」 その言葉を聞き、少しだけ、ほんの少しだけ心が安らいだ。 朱には適わない。 結局、心配性な朱は部屋まで俺を送り届けてくれた。 「凛ちゃん、大丈夫だからね。」 玄関先でそう言って俺を抱きしめる朱。 朱はいつも俺を助けてくれてる気がする。 本当にありがたい。 友達と言うより、家族…兄弟的な感覚だ。 それから俺は1人で部屋にこもり、委員長が帰ってくるまで布団に潜っていた。 だからといって寝れる訳ではない。 寝て忘れようという魂胆は神様にバレバレだったようで、全く寝かせてくれなかった。 「柊木くん、帰ったよ。」 俺の部屋を除き、そっと声をかけてくる委員長。 布団から少しだけ顔を出す。 「ごめんな。急にかえって。」 「…いや、多分僕でもあれは帰るかも。」 「なんかもう訳わかんなくなった。」 「うん…。とりあえず、ご飯食べる?」 そう言って手に持っている袋をかかげる委員長。 「何それ。」 「帰りに売店寄ってお弁当買ってきた。」 まって…委員長がめちゃくちゃ気使ってくれてる… 普段は絶対夜ご飯のことなんて考えてないのに… 俺が作るの待ってる子なのに… うぅ…嬉しくて涙が出そう… その後、俺と委員長は2人で美味しく超高級弁当を平らげた。 「なんかちょっと気楽になったわ。」 「それは良かった。」 ありがとな、委員長。
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