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分藩を執拗に迫った稲田旧家臣は、北海道日高静内に移住と決まった。
この日高静内は荒涼たる荒野で第一陣五百五十人が耐えた辛酸は筆舌に尽くし難い。
悲劇はさらに追い打ちをかけた。移住第二陣百二十四人が乗った船が紀州熊野灘で遭難し、八十三人が死亡している。
稲田の本拠地猪尻では本藩兵士の襲撃を避け、隣藩高松へ三百四十余人の家臣団が一時避難している。
つまるところ、稲田家主従の尊皇倒幕貢献、戊辰戦争での働きも功を奏さず、稲田邦稙は一万四千石から千石に減給、その家臣たるや郡付き銃卒という一兵卒となった。
加賀見紊一郎が、川北本道を伊予松山へ急ぐ文政二年には、五十五年後に迫る回天のうねりもまだなく、猪尻の里もそれなりに至極安穏であった。
やはり雨が来た。本降りである。荷駄の轍跡を雨が叩き、見る間に水溜まりと変わってゆく。
悪いことに風も出た。雨合羽の裾を巻き上げ、水を含んだ菅笠から雨露がしたたり落ちる。
岩倉村、郡里村と過ぎ重清村でみつけた茶店に寄った。急ぎ足が汗を呼び合羽の下はずぶ濡れだ。小降りになるまでと茶店に寄った。今夜は池田泊まりと決めていた。
茶店は混んでいた。雨宿りをかねた客であろう。紊一郎は目で空席を探した。どの椅子も塞がっている。奥にも部屋はあるようだ。
「お侍さん、相席でよかったら奥へどうぞ」
賄い場の簾越しに声がかかった。
「それで良い、お願いしたい」
十二三歳の少女が走り寄ってきて、紊一郎の袖を引いた。ついて来いとの合図らしい。奥には十畳ほどの座敷があった。
茶卓が三台並んでいた。一台には四人の武士が占め、あとの一台には、薬売りらしい老若の男女が煙草をくゆらせていた。残りの台には武家の妻女らしき二人連れが座っていた。
少女はその横を指差しここで良いかと手招きした。
声高に話していた四人の武士が、紊一郎を一瞥すると、瞬時に話が止んだ。年長の男が左の男を指でつつき、目配せしてそそくさと立った。城下で見かけた顔だが思いだせない。
空いた席に座った紊一郎に、少女が薄板に書いた品書きを見せた。膝座りの少女が薄板を指し決めろと言っている。どうやら口がきけぬらしい。
紊一郎は指で品書き板を示した。すると少女が帯の中に隠していた石筆で○印を入れてゆく。店主が少女のために考案したのであろうか。
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