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目はどうだ。鼻はどうだと問答の末に、番所役人が描いた人相書きは、まるで別人だった。しかし、その顔に見覚えはあった。
城下弓町木崎道場で、何度か出会った顔だ。紊一郎の脳裡に七八年前の記憶が鮮やかに蘇った。
丸顔の保之介とは似ても似付かない面長で眉が濃く、引き締まった口元からとても兄弟とは思えない顔だった。
少年組みでは際だって剣筋がよく、保之介自慢の弟である。紊一郎も何度が稽古をつけたことがある。名は海堂良雄という。
──良雄は囮だ。
奉行一派をあざむくため、良雄が目立つように馬で走り抜けたに違いない。
徳島城下から伊予松山まで五十五里(220㎞)を追尾を意識しながら、派手に走ったのだろう。どうやら奉行一派はまんまと引っ掛かったようだ。
保之介はどの道を伊予松山へ向かったのか。妻女はお四国参りと称して国許を出ている。さて、保之介は土佐廻りで松山入りか。それとも一度讃岐路に出てから松山を目ざしたのであろうか。
──とにかく、良雄を討たせてはならない。
境目峠から川之江に下り、瀬戸内沿いに伊予三島を通り、小松から左に折れて、桜三里を山沿いに丹原へと進み、重信に下って松山城下に入った。
保之介と良雄の伯父豊瀬銀之介宅は、南城端にあった。門番に来意を告げる。豊瀬は下城したところで、暫時待たされた後、ほどなく門番に伴われ玄関に案内された。そして書院に通された。
やがて、歳の頃五十半ばの豊瀬銀之介が現れた。髪に白いものが混じった、温厚そうな人物である。
「早速ですが、海堂兄弟に会わせて頂きたい」
「大目付補佐加賀見どのと申されたが、何故保之介兄弟に会われるのであろうかの」
「大目付兵藤圭助の命により、甥御どのの警護のためでござる」
「それは確かであろうか?」
「保之介どのが城下を出た後、勘定奉行一派が保之介どのを消すため、後を追っている。道中にて別動隊とおぼしき四人は打ち据え捕縛いたしたが、第一陣十人はどうやら当城下に入ったと思われる。途中、良雄どのもこちらに参っていることは承知いたしております。保之介どのの所在を確かめるべく罷り越しました」
「そうでしたか、ご難儀をお掛けして申し訳ない。良雄を呼びますのでおくつろぎくだされ」
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