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尻込みの欠片も無く、悠然と構えている。
察するところ、腕にはかなりの覚えがあるのであろう。どうやら、伯父御、良雄ともに血気盛んな家系のようだ。
計画は数日後と決まった。
三人は着流しに帯刀だけというくだけた姿で、道後の湯で一風呂浴びようと南濠端の屋敷を出た。申(さる)の七つ(午後四時)で陽はまだ高い。城山の天守閣の白壁が西日を受けて輝いていた。
昨夜の雨で松の緑が深みを増し、吹き下ろしてくる風が涼やかだった。
東雲町から南町を抜けた辺りで、背後に異様な気を感じた。どうやらひと風呂どころではなさそうだ。また人通りも多い。
この道は道後の湯里まで通じているだけに、終日人が絶えることはない。と志太郎が言った。町中での斬り合いだけは避けたかった。
紊太郎が志太郎と良雄に告げた。
「少し足を速めよう。追っ手かどうか確かめよう」
頷いた志太郎が先に立った。気付かれたと感じたのか背後の気が遠くなった。
紊一郎はまだ道後の湯に浸かったことはない。日本最古だという温泉を娯しむのは刺客を倒した後でいいと思っている。
大目付補佐などという仕事は因果な生業(なりわい)だと思っている。悪を糺すとはいえ、斬りたくもない殺生を重ねている。
この道中だけでも四人を斬り殺し、三人を不具にした。あの三人もいずれ梟首だろう。いままた罠をかけ何人か斬ろうとしている。間違いなく仕留めるだろう。
六歳のときから山野を駆け、獣たちを呼び笛一つで従えた昔日が懐かしくも恨めしい。あの日、城下で剣術道場を構えていた木崎森貞に合いさえしなければ、これほどまでに技を極めることもなかったのだ。木崎森貞は〝狂死〟した父の剣友であり、親友でもあった。
父加賀見茂助は大目付配下の目付であったが、木崎森貞と交互に斬首役を兼務していた。ふたりとも家中に知られた剣士であった。
木崎森貞が役を引き道場の跡目を継いだこともあって、処刑役は父茂助一人でこなしていた。二十余年で落とした首は三百を下らないという。武士もおれば町人もいた。
極悪非道の罪人にも死を目前にして仏の顔に収まる者も多いと聞いていた。そんな彼らを一閃にして死界に送る斬り役がおぞましくなったのだ。躁と鬱とがない交ぜになり、挙げ句の果てに狂い死にした。
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