第1章

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 例えば鹿皮一枚口銀(くちがね)三分九厘、米一石口銀二分五厘とかである。  渡し場界隈は賑わっていた。空席のあった茶店に入り、紊一郎は遅い夕餉を摂った。そのあと番所に顔を出した。番所役人の様子を見ておこうという、ただそれだけであった。  勘定奉行所から、並川平七惨死の一報が入っているであろうと考えた上でのことでもある。  道中でわかったことは、海堂保之介が騎馬で駆け抜け、追手の十人も騎馬で走り抜けていたということだった。  国境の佐野番所までに討手は追い付けまい。紊一郎はそう思っていた。海堂は単騎で駆け、追手は集団である。馬脚の善し悪しもあるだろうから、追い付くのはまず不可能だろう。  加賀見紊一郎は何食わぬ顔で五分一所の門をくぐった。 「大目付補佐加賀見紊一郎である」  と、正式に名乗った。 「何用で参られたのか……」  応対に出たのは番所手代片桐籐兵衛である。鼻にくぐもった悪声、聞き分け難いだみ声である。一度聞けば忘れにくい声だ。歳の頃五十半ば白髪交じりの小肥りの男だった。 「少々質したき儀あり、罷り越した」  はったりである。  奥に消えた片桐が再度現れたのは、四半刻も経ってからであった。一人ではなかった。勘定奉行家の用人大柳信三郎を伴っていた。  用人の左右には奉行の若党 二人が脇を固めていた。大柳信三郎も帯刀したまま、紊一郎を睨み下ろしている。  なぜ、大柳が番所に出張っているのか紊一郎には瞬時に理解した。  ──隠蔽工作!     それ以外考えられない。    勘定奉行配下の並川平七が返り討ちにあったと知った奉行の西林敬太郎は、海堂保之介が確証を握ったと覚ったのだろう。  海堂はおそらく執政の誰かに通じていていると考えたに違いない。それは大目付かも知れない。おそらく海堂はまだこの岩津五分一所の不正は掴みきっていないと思ったからこそ、用人を差し向けて来たのだと紊一郎は思った。  大目付の思いも同じであろう。用人が来たということは、ここでの不正を隠しおおせば、並川に罪を被せて逃げ切れると踏んだに違いない。それ故に用人がすっ飛んで来たのだ。 
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