1人が本棚に入れています
本棚に追加
その日、タケシは朝からずっと、ソワソワしていた。
時計を何度も見たり、仕事中でも構わず何度もスマートホンを開き、メールのチェックをする。
仕事が終わると、急いで会社を飛び出す。
予約しているバスの時間には余裕があった。
わかっていても、知らず知らず小走りになって高速バス乗り場に向かっていた。
バスは予定通りの時刻にタケシを乗せて出発した。
高速道路をタケシを乗せたバスは進む。
車中はほぼ満席だというのに、静かだった。
タケシは、スマートホンを握りしめ画面から視線をそらさない。
画面の待受はタケシと妻のナナが一緒に並んで写っている写真だ。
ナナとタケシのぎこちない笑顔が写っている。
付き合い始めたばかりの頃でお互い緊張している。
とてつもなく愛しい想いが胸に込み上げてくる。
早く会いたい。
親指で画面に映るナナにそっと触れた。
タケシは、ナナと今まで過ごした時間を思い出していた。
すると、メールの着信を知らせるライトが青く点滅し、静かにメールを受信したことを知らせた。
タケシは一瞬で現実に戻され、急いでメールを開く。
"タケシくん、産まれたわよ~!!
おめでとう!!"
ナナの母親からのメールだった。
タケシが待ちに待ったメールだった。
涙が溢れた。
急いで服の袖で涙をぬぐう。
それでも、涙腺が壊れたようにとめどなく流れる。
兄ちゃん、大丈夫かい?具合でも悪いのかい?
隣に座っていた年配の女性が声をかけてくれる。
いや、嬉しいのだと、娘がたった今産まれたのだと、伝えた。
年配の女性も気持ちが高ぶったのか少し大きな声で、嬉しそうに「おめでとう」と言ってくれた。
静かだったバスの中でのタケシとその女性の会話は筒抜けだった。
今度はあちこちから「おめでとう」の声と拍手が聞こえてきた。
「ありがとうございます」
タケシは少し照れた様子で鼻の頭を掻いた。
タケシは握りしめていたスマホの着信を知らせる青いライトが点滅している事に気づいた。
直ぐにメールを確認する。
"タケシ、おめでとう"
"私の赤ちゃんは殺したのにね"
顔を上げたタケシは絶句した。
今まさに一番前に座っていた女が運転手の脳天めがけて包丁をつきさしたところだった。
そして女は振り返って笑顔でタケシに言う。
「おめでとう」
耳を切り裂くような爆発音。
身体全体に伝わる衝撃。
遠くなる意識。
最後に思い出されるのは
過去に子供を堕ろせと、タケシが言った時の絶望した女の顔だった。
最初のコメントを投稿しよう!