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「悪い、遅くなったな」
伊藤は腕時計を見た。
隆生が登校してから十五分ほど経っている。もうすぐ予鈴が鳴る時刻だ。
「今年もよろしくな」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
階段を上がり、三つ過ぎた教室の前で、二人は立ち止まる。教室内の騒々しさが外からもわかるほど大きい雑談声が聞こえてくる。
伊藤は慣れた様子で戸を開いた。充満した声の中を堂々と歩き、教卓の前で立ち止まる。
「センセー、おはよう。ちょっと早くない? まだチャイム、なってないじゃーん」
「もうすぐ鳴るだろ。それに、早く来るのに越したことはねぇの」
「いつもギリギリに来る人が言う言葉じゃなーい!」
女生徒の言葉が、周囲の笑いを引き出していく。
まるで違う世界に来てしまったかのようだ。生徒と教師との間に大きな隔たりはなく、誰もがそれを当然であるかのように受け入れている。
きっと自分にはできない。人間関係を築くことが、どれほど難しいかを、隆生はよく知っていた。
教室の前でたじろいでいると、それに気づいた伊藤はふっと柔和に笑って、手招きをした。
手を引かれるように隆生は教室へと一歩踏み出した。
徐々に周囲の声が薄れていく。周囲の視線が自分に突き刺さる。見知らぬ生徒が入ってきたら、誰しも不審に思うのは当然だ。
しかし、周囲の視線の意味を理解していても、隆生は好奇の目で見られることが、この世で一番苦手なことだった。
伊藤の側まで来ると、ほっと息を吐く。座席表で自分の席を教えられて、隆生は背方を向いた。
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