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長崎とニコラエフスクには定期航路がなく、日本人は一度函館に行き、そこからニコラエフスクに渡った。日本とニコラエフスクの交流は江戸時代まで遡る。その後ニコラエフスクで、日本式の漁業が有効だと分かり、ロシア側が積極的に多くの日本人を誘致した。港に十隻以上日本の漁船が停泊していた時代もあった。だが、明治23年に日本人の漁業が禁止されてからは多くの日本人が、転職してニコラエフスクに残った。日本に帰っても飯岡家のように、食い扶持を稼ぐ方法がなかったからである。
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