紺野さんと僕

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 雪がちらつく寒い冬の頃。紺野さんと僕は出会った。その時のことは、今でもはっきり覚えている。 「飯が食いたきゃついてこい」  それが紺野さんの第一声。  本当に野良猫でも拾うかのような勢いで、道に座り込んでいた見ず知らず人間である僕を、あのアパートへ連れて行ってくれた。  いつも目に見える優しさなど、与えてはくれないが、それでもあの人は誰よりも優しい。 「ずっと一緒にいるよ。だって僕には紺野さんが必要だから」  あの人とこの先も一緒にいられるなら、僕は本当になにもいらない。どこかに置いて来た過去さえ欲しい思わない。  彼の傍にいればいるほど、そう思えてくる。 「じゃぁ、またね」  紺野さんを追うべく超特急で着替えると、僕は髪を乾かすのもそこそこに、銭湯を後にした。 「って、もういないし……意地悪だな」  慌ただしく外へ飛び出すが、通りに紺野さんの姿は見当たらない。ぐるりと首を巡らしても見るけれどそれは変わらず、仕方なしに僕は鈴凪荘へ足を向けた。  とりあえずあそこに帰れば彼も帰ってくる。 「おいこら、荷物持て」 「へ?」  とぼとぼと歩きだした僕の背を、ほんの少し不機嫌そうな声が呼び止める。その声に肩を跳ね上げ振り向くと、ビニール袋を下げた紺野さんが、顔をしかめて立っていた。 「こ、紺野さん?」  その姿を目に留めると同時か、僕は弾かれるように彼の元へ走り寄った。 「買い物行ってたの?」  慌ただしく、彼の手にぶら下がっていた袋を二つ受け取り、その中身を覗けば、一つはなにやらたくさん食材が入ったもの。  もう一つは弁当が、二つ入ったものだった。 「あ、生姜焼き弁当だ」  温かい弁当からは好物の香りが漂い、それにつられた腹がぐぅと、音を鳴らした。 「ありがとう。帰ったら紺野さんの好きなお茶、煎れるからね」 「……」  立ち止まっていた僕を置き去りに、またさっさと歩き始めていた紺野さんの背を追いかけ、僕は彼の横に並び歩いた。  僕は紺野さんの遠回りなくらい不器用な、この優しさが好きだった。じんわりと、胸があったかくなる感じが安心する。 「紺野さんずっと傍にいていい?」  ぴったりとくっつく僕に、うざったそうな表情を浮かべ、眉間に皺を寄せるが、ぽつりと紺野さんが呟いた言葉に僕の頬は緩む。 「うん、好きにする」  僕はその一言と、彼に貰った名前があるだけで、この先も幸せだと思うんだ。 紺野さんと僕/end
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