8. 付き合わなければ絶交だ

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8. 付き合わなければ絶交だ

「じゃあな、悠人」  放課後になると、大地は隣で帰り支度をしている悠人にそう言い、同じクラスの彼女と連れ立って教室をあとにした。二人で何かを話しながら笑い合っているのが聞こえる。その声が届かなくなるのを待ってから、悠人はスクールバッグを手にして席を立った。  高校二年生になっても変わりない日々を送っていた。  大地はまだ運命の相手とやらに巡り会えていないようで、付き合ったり別れたりを短い間隔で繰り返している。今の彼女とは数日前から付き合い始めたばかりだが、初等部の同級生ということでもともと仲が良かったようだ。それでもやはり長くは続かないだろうと思っている。  大地とは当然のように同じクラスになっていた。二年からは文系理系に分かれたクラス編成になるのだが、大地に誘われて一緒に理系を選択したのだ。ともに成績上位のため特進クラスである。橘財閥の後継者なら文系の方が良いのではないかと思ったが、後継者として必要なことは家で個別に教育を受けるので、進学先は自由に決めていいとのことだった。  ——ん?  昇降口で靴を履き替えようとしたとき、靴の横に何かが立てかけてあることに気付き、手にとった。白い洋形の封筒だ。表には「楠悠人様」と宛名が、裏には「佐藤由衣」と差出人名が、まるでお手本のようなきれいな字で書いてある。顔は覚えていないが、確か一年生のとき同じクラスにそんな名前の女子がいたように思う。  怪訝に思いつつ、とりあえず中を見てみようと封筒を開けかけたものの、きっちりと糊付けされていたので面倒になってやめた。ひっきりなしに生徒たちが行き交うこんなところで、立ったままよくわからない手紙を読むのも落ち着かない。ひとまずスクールバッグにしまって後で読むことにした。  ひとりで橘の家に行き、執事の櫻井と格闘術の訓練をしたあと、シャワーを浴びて元の制服に着替える。  格闘術での実力はすでに大地と互角になっており、組み手をしても勝負は五分五分だが、学校の学力考査ではいまだに一度も勝てていない。同点は何度かあったものの上回ったことはないのだ。それでもまだあきらめるつもりはない。勝ちたいという気持ちはずっと変わらず持ち続けているし、努力もしていた。  課題に取りかかるため、数学の教材やノートをスクールバッグから取り出そうとする。そのとき白い封筒が目についた。学校の靴箱に入っていたものだ。橘の家に着いたら読もうと思っていたのに、目にするまですっかり忘れてしまっていた。  端のすきまから指を入れて糊付けされた封をはがし、中の便箋を取り出して開く。そこにはきれいな字でびっしりと何かが綴られていた。 「…………」  三枚目まですべて読み終えて、溜息を落とす。  それはいわゆるラブレターといって差し支えないものだった。好きですというストレートな告白に始まり、その理由が詳細に書き連ねられている。隣の男子が落とした消しゴムを拾ってあげただの、委員会の仕事を文句も云わず引き受けただの、掃除のときも手を抜かず丁寧にやっているだの、いちいち具体例を挙げながら。  悠人から言わせてもらえば、何でもない普通のことを良いように解釈しすぎである。買い被りすぎだ。読んでいるだけで体中がむずむずと痒くなってくる。そして、ここまで事細かに観察されていたことには若干恐怖も感じた。相手の素性どころか姿さえわからないのでなおさらだ。 「ただいま」  難しい顔をしていたところへ、大地がそう言いながら気怠げな様子で部屋に入ってきた。いつものように椅子に座っている悠人を目に留めると、わざわざ背後にまわりこんで体ごともたれかかってくる。肩には無造作に腕がまわされ、顔は今にも触れそうなほど近い。  高校生になってから、彼は度々こうして無意味にくっついてくるようになった。それも女の匂いをまとわせてきたときに限って。今もそうだ。いつもの彼とは違う匂いがまとわりついている。嫌がらせなのか悪ふざけなのか何なのかわからないが、あえて素知らぬ顔をして反応しないようにしている。 「ん、何だそれ」  大地は首を伸ばして悠人の持っていた手紙を覗き込むと、目をぱちくりさせた。 「これラブレターじゃないか」 「そうみたいだな」 「誰から?」 「佐藤由衣と書いてあった」  端的に答え、手紙の下に隠れていた封筒を掲げて差出人名を見せる。 「へぇ、あの子か……」 「知っているのか?」  体を起こした大地にちらりと横目を向けると、彼はあきれたような顔になった。 「一年のとき僕らと同じクラスだっただろう。今は文系特進かな。雰囲気が地味だからあんまり目立ってないけど、顔はきれいだよ。可愛いというより美人系。学力テストではだいたい十位くらいにいるから、頭もいいと思う」  そう言いながら椅子を引いて悠人の正面に座り、頬杖をつく。 「でもちょっと変わった感じの子でさ。どことなく浮世離れした雰囲気があるんだよな。休み時間はいつもひとりでひっそりと読書とかしてて。女子にしてはめずらしいだろう? いじめられてるわけじゃないみたいだし、人見知りでもなさそうなんだけど」  見た目だけならともかく、休み時間の様子まで認識していることに驚いた。もしかして彼女に興味があったのだろうか。我知らず眉を寄せる。 「やけに詳しいな」 「クラスメイトの顔も覚えてないおまえの方がおかしいんだよ」  大地は軽く苦笑しながらそう言い返すと、頬杖を外してテーブルに腕を置き、グイッと前のめりに覗き込んできた。 「で、付き合うのか?」 「断る」  興味津々に目を輝かせていた彼に、そう即答する。秀麗な眉が不満げにしかめられた。 「せっかくだし付き合えばいいだろう」 「知らない女となんか付き合えるか」 「付き合いながら知っていくんだって」 「僕はそういうのは受け入れられない」  大地には目的があることを知ったので反対しないが、ひとに押しつけるのは勘弁してほしい。悠人は運命の相手を見つけようなどと考えていないのだ。仏頂面で視線を落としていると、大地はふっとやわらかく目を細めて微笑を浮かべた。 「彼女、見る目あると思うよ。本当におまえのことが好きなんだろうな。そうじゃないとこんな詳細に書けないよ。一見おとなしいけどしっかりしてそうな感じだし、おまえと合うんじゃないか? 付き合ってみろよ」 「余計なお世話だ」  下を向いたまま、苛立ちをぶつけるように強い口調で突き放したものの、すこし言いすぎたかもしれないと目を泳がせる。しかし、彼に気にしているような素振りは見られなかった。じっと考えたあと、何か思いついたように満足げに頷いてから口を開く。 「よし、じゃあ付き合わなければ絶交だ」 「……えっ?!」  動揺する悠人に、彼はゆっくりと頬杖をついて挑戦的なまなざしを送った。 「どうする? 彼女と付き合う? 僕と縁を切る?」 「…………」  悠人は頭が真っ白になった。どうして——その言葉ばかりがぐるぐると頭をめぐり、まともに考えることができない。気のせいか目眩さえしてきたように感じた。 「とりあえず夕食にしよう。着替えてくるよ」  大地はくすっと笑ってそう言い置き、部屋を出て行く。  高校生になってから、悠人はほとんど橘の家で夕食をとるようになっていた。もちろん大地と一緒に。彼女と出かけても必ず夕食までには帰ってくるのだ。その後、ふたりで課題や勉強をしたり、軽く体を動かしたり、ときには漫然と過ごしたりして、夜九時から十時頃に帰るのがいつもの流れだ。  大地は決して彼女を家に連れてくることはない。運命の相手であれば別だろうが、少なくともこれまではただの一度もなかった。彼の私的な空間に立ち入ることを許され、彼の手元に置かれている自分は、彼女たちより特別なのだと些細な矜持を持っていた。  なのに、今になって女と付き合わなければ絶交だなんて——まるで厄介払いのようだ。いいかげん悠人のことが邪魔になってきたのだろうか。今はともかく、運命の相手が見つかれば持て余すようになるだろう。そのときを見越してのことかもしれない。  こんなもののせいで——。  ただのきっかけにすぎないことはわかっていても、何かに苛立ちをぶつけずにはいられない。悠人は持っていた手紙をぐしゃりと握りつぶし、そのまま冷たいテーブルに突っ伏した。 「じゃあな、悠人」  翌日の放課後、大地はいつものように軽くそう言ったあと、頑張れよと身を屈めて耳打ちしてきた。不意にかすめた吐息と声にビクリとして顔を上げる。彼はにっこりと笑いながら軽く右手をあげ、隣の彼女と連れ立って教室をあとにした。  明日の放課後、校庭の隅にある大きな桜の木の下で待っています——佐藤由衣の手紙にはそう書かれていた。校庭のまわりに連なっている桜の木とは別に、校舎の陰にひっそりと大きな木が立っているので、おそらくそれを指しているのだろう。  足取り重く、何度か溜息をつきながら指定された場所に向かう。桜の季節はとうに過ぎているので、花はすべて散ってしまっているが、替わりにみずみずしい葉が生い茂っている。  その下に、黒髪を肩ほどまで伸ばした女子生徒が立っていた。おそらく彼女が差出人の佐藤由衣だろう。確かに同じクラスだったようで、うっすらとではあるが見覚えがある。足を進めると、彼女はこちらに気付いて丁寧な所作で一礼した。 「ありがとう、楠くん」 「……まだ何も言っていないが」 「来てくれただけで嬉しいから」  彼女はふわっと微笑んだ。  手紙にあれだけ事細かに書き綴られていたこともあり、熱烈に迫られたらどうしようと身構えていたのだが、予想外に控えめだったので拍子抜けする。しかしながら何か微妙にずれているような気はした。ちょっと変わった感じの子、浮世離れした雰囲気、という大地の評価に何となくではあるが納得する。 「お手紙にも書いたけど……」  沈黙が続くと、彼女は落ち着いた声音でそう切り出した。視線はまっすぐに悠人を射抜いている。 「一年のときから楠くんのことが好きです。私と付き合ってくれませんか?」  清々しいほどに率直な告白。  変に媚びたり策を弄したりするよりかはよほど好感が持てるが、その対象が自分だと思うと複雑な気持ちになる。よりによってなぜ自分なのだろう。話したことさえないのに、どうしてそこまで思いを募らせられるのか理解できない。正直に言えば迷惑だった。 「僕は君のことを何も知らない」 「そうだと思っていたわ」 「君を好きになれるかわからない」 「そうでしょうね」 「君はそれでもいいのか?」 「構いません」  彼女はすこしも動じることなく、きっぱりと言い切る。  付き合わなければ絶交だと大地に言われているので、悠人から断るわけにはいかない。なので彼女の方から撤回してくれることを期待したのだが、それも潰えた。もう腹を括るしかない。 「わかった……付き合おう」  感情を押し殺し、静かにそう言葉を落とす。  しかし、彼女はまるで予想外であるかのように目を見開いた。悠人の双眸をじっと探るように見つめたあと、ゆっくりと嬉しそうに顔をほころばせていく。 「よろしくお願いします」  よく通るきれいな声でそう言い、深々とお辞儀をする。  緩やかな風が吹き、彼女の黒髪と膝丈のスカートが揺れ、さわさわと葉擦れの音が降りそそぐ。悠人は無言でその場に立ちつくし、瞳に彼女の姿を映したまま大地のことを考えていた。
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