第1章

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愛(いと)しいあなた   これは、あなたの身の回りでこの数か月に起った奇妙な出来事について、あなたが、私に語ってくれたことです。覚えていますか、たしか、こんな話でしたよね。   ・・・・・・ 私の会社にAという社員がいます。同期の入社で、二十年来の付き合いです。冴えない風貌(ふうぼう)の男ですが、気のやさしいいい男です。三十を過ぎて下腹が出て、髪も薄くなりました。結婚は縁遠くなり、独身貴族を気取らざるを得なくなったようです。 Aはそれまで会社の昇進に否定的でした。それは昇進すれば、給料が減るという日本の会社特有のパラドックス(残業代は管理職には出ないのです)によるものでした。それに伴侶(はんりょ)のない彼にとっては、昇進は自分の自由を奪うもの以外の何ものでもなかったのでしょう。   その友人がわたしに生命保険の相談をしてきたのが、四ケ月前、つまり三月のことです。私は会社の保険部門の担当ですから、いろいろな社員からの相談を受けます。Aはいつも保険には後ろ向きでした。関心がないというか、独身を通す人間(受取人のいない)は生命保険は掛けても仕方がないと考えていたようです。  その彼が三月の月末でしたか、私に生命保険に入りたいと言い出しました。変だなと思ったのですが、詳しく教えてやりました。それで入るなら他社の方が得だとも教えてやりました。だから、その後Aが保険に加入したかどうかは定かではありません。  四月に人事異動がありました。Aはあれほど嫌がっていた課長に昇進しました。部長の再三再四の昇進要求を断れなくなったんだろうというのが、社内のもっぱらの噂でした。私も詳しくは聞けないまま、そうなんだろうと思っていました。  ところが、五月にサプライズがありました。  Aが結婚したのです。相手は十五歳も年下の三十歳の女性です。社内にはやっかみの声が上がる一方でよくやったという賞賛の声も湧き上がりました。  式は挙げず、結婚報告会のようなパーティーが都内のホテルで開かれ、やっかみの声が大きくなりました。私もそちらの側になるほど、きれいな女性でした(笑)。彼の人生の方向を変えるほどの女性だと直感しました。  式でAは初めて、涙を流しました。幸せだと言葉を詰まらせました。Aとは長い付き合いですので、私ももらい泣きしてしまいました。  
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