第1章

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 結婚して二か月がたち、七月になりました。たまたま社員食堂でAに会って驚きました。Aがげっそりとやせていたのです。Aはやつれたという言葉がふさわしい痩せかたで、十キロも体重が落ちたそうです。何でも、奥さんが痩せるように食事をコントロールしているそうで、三食愛妻(あいさい)飯(めし)だと笑いました。 Aは社食でその愛妻弁当を大事そうに食べていました。通りかかる社員の冷やかしを受け流し、ヒーローのように手を振っている彼の横顔は人生をほんとうに生きているという充実感に満ちていました。食べ終わった弁当箱を流しで丁寧に洗う彼のうしろすがたはいじらしさのかたまりで私にはまぶしかったのです。十分以上も、まるで妻を愛おしむように弁当箱洗われていました。 ただ、気がかりなのは、顔色の悪さです。普通は食事でダイエットをしても、決して顔色まで悪くなることはないのです。それだけが気がかりでした。 同僚で私より出世しているBに相談すると、あんな美人と結婚するからだと大笑いしました。この手の中年の笑い話はよくあることなので、私もそんなものかとやり過ごすことにしてしまったのです。 八月になり、Aが入院したと聞いた私は嫌な予感がしました。すぐに見舞いに行きました。 病室には例の美しい奥さんが付き添っていました。Aは顔色の悪さと反対に眼だけは輝きを増していました。そして、入院したことを感謝するようなことまで口走りました。会社に行かず、妻と二十四時間一緒にいられることがうれしいようです。このときも彼は今が人生で一番幸せだと私に訴えました。このまま妻にみとられて死ねたら・・・とさえ言いました。私は初めて、そんなの本末転倒だと彼を諌(いさ)めました。 彼は、日ごろは見せない私の気色(けしき)ばんだ様子にたじろいだようでしたが、目は反省していませんでした。 ・・・・・   あなたはここで話をやめてしまった。なんでも急用ができたとかで。私は気になって仕方がありませんでした。今日、こうしてあなたに会って、やっと謎がとけるのをたのしみにしているのです。どうか思い出してください。忘れたなんて言わないでください。 あのとき、あなたは今度、私に会ったときに話してくれると約束しましたよね。 ・・・・・・
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