靄。

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「あのなあ、世の中はそんなに完璧じゃあねぇんだよ」 彼はそう言うと、酒瓶を床に置いた。 直後、ガタンと揺れる車内。瓶は転がって、座席の下に消えていく。 「色々な経験を積みゃあ、お前だって気付くさ。この世界は出来損ないだ」 「経験。また経験ですか。たかだか何かをしたことがあるってだけのことが、一体何の役に立つって言うんです」 「わかってねぇな、経験ってのはそんだけのことじゃあねぇのさ」 彼はそう言うと、よろめきながら立ち上がった。 僕は直感する。彼はもう、電車から降りるのだと。 降りてしまうのだと。 「嬉しいこと、悲しいこと、辛いこと、楽しいこと、苛立たしいこと、妬ましいこと、羨ましいこと、喜ばしいこと。人生の中の光と闇、全部引っくるめて、経験って呼ぶのさ」
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