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彼は歩き出す。見ればその右足は、木製の黴の生えた作り物だった。
僕はそれを見ていることしかできない。
彼はこれまでの人生で、どれだけの物を手に入れて、どれだけの物を失ってきたんだろう。
そして僕がこれからも生きていくとするのなら、どれだけの物を失って行くんだろう。
関係のないことだと、振り切ることもできなくて。
「どうか、ご達者で」
僕はできるだけ小さな声で、そう言った。
届いても届かなくても、どちらでもよかったからだ。
「お前こそ、こっからは長ぇぞ」
それでもしっかりと答えは返ってきて。
彼は煙のように、まるでくゆる紫煙のようにあやふやに、けれど確かに目の前から消えていった。
もう会うことはないだろうと思った。
やめてくれ、それじゃあ僕がこれからも生きていくみたいじゃないかと漏らす。
それでも電車は進んでいく。
海を眼下に敷く、透明な線路の上を。
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