第1章

16/41
前へ
/41ページ
次へ
 夜になり、激しい雨が降った。こんなに雨が強かったら、山の道は、雨水が流れ滝のようになっているのかもしれない。明日、登れるのだろうか。  諒一の顔が浮かぶ。整った顔で、学校の先生のような雰囲気もある。子供の面倒を見ながら、諒一はいつも、遠くを見ていた。  その諒一が、自分に向けてくれた笑顔は、とても嬉しかった。  朝、早めに家を出ると、バイトへと向かった。いつもより一本早い電車に乗り込む。待ち合わせの場所に行くと、高岡が来ていた。 「倉田…」  高岡は、陳腐な言葉で喩えると、鬼のような形相になった。 「アヤは俺のだ!」  高岡は、荷物を受け取ると、走るように山に向かっていた。 「……ある意味、溺れていますね」  俺がアヤを狙って、早く来たと思ったのだろう。 「そうですね、そんなに美女なのですか、アヤさん」  軽トラックの運転手は、タバコを取り出すと一服していた。 「一回しか見たことがないのですが、美人でしたよ」  軽トラックの運転手も、一回だけアヤを見たそうだ。アヤはその時、着物姿で、子供の面倒を見ていた。軽トラックの運転手が、小学生の時だった。 「…若かったですよ、アヤさん。俺と同じ年くらいでした。もしかして、アヤさんの娘も、名前がアヤなのでしょうか?」  軽トラックの運転手よりも、アヤが年上とは思えなかった。 「そうかもしれませんね」  仕事があるからと、軽トラックは走り去って行った。  山に登り出すと、あちこちに水たまりがあった。足場も悪く、思うように進まず、早めに出発していて良かったと思った。日は昇っているので、帰りは幾分マシになるのかもしれないが、粘土質の地面はまるで油を塗った床のようであった。  何度か転び、あちこち泥にまみれてしまった。  それでも、地蔵に飴を供えると、手を合わせた。これは、もう、習慣だった。地蔵菩薩は亡くなってしまった子供を、賽の河原から救うと聞き、もし弟を見つけたのならば、手を差し伸べて欲しかった。  急な斜面に差しかかると、大きな木が倒れていた。木の下を潜るというわけにもいかず、跨いだ瞬間、木が下に落ち出した。足を急いで抜こうとしたが巻き込まれ、反対の足も気に掬われて体が宙に浮いた。
/41ページ

最初のコメントを投稿しよう!

28人が本棚に入れています
本棚に追加