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「まずはお礼が言いたくて」
「お礼?」
彼女との会話は、想定外の言葉から始まった。
「はい。わたしと……何て言うか、遊んでくれたこと」
「ああ。あの時は失礼な表現になってすみませんでした」
ケイちゃんとの芝居を思い出すと、居たたまれなくなる。
「ううん。はっきり言ってもらってよかったって、今は思ってます」
僅かに彼女の声が明るくなった。
「わたし、ずっと安西さんのことが好きでした。だから、安西さんとのこと
は何一つ後悔してません。こんなわたしと付き合ってくれて、愛人になってくれて、ホンマにありがとうございました」
壁の向こうから囁かれた少し他人行儀なお礼は、本来なら僕が彼女に伝えるべきものだった。
だから、今こそちゃんとお礼を言わなければ……思えば思うほど、何も言えなくなった。
声を発したら、堪えている想いが零れ落ちてしまいそうだったから。
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