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5月。小春日和を馬鹿にするかのような真夏日。梅雨入りもまだ先だと言うのに気温30℃を超える素敵な地球温暖化事情に須郷サイカは辟易しながら、コンクリートジャングルを歩いていた。
世の人々が慌てて薄地で明るい夏物を箪笥から取り出していく中、須郷サイカの服装は全身黒。無地の黒スーツに黒Yシャツ黒ネクタイ、おまけに髪色まで黒。まるで黒に塗り潰されたような中、深い紅色の眼が目立つ。
彼の持つ異様な雰囲気のせいか、通行人達も自然と彼と少し距離を取っていた。
サイカはそんな通行人に気を留める様子もない。彼にとってはこの視線も何もかも日常であった。くだらない、退屈な日常ーー
*
夕方。須郷サイカは日課を済ませて帰路についていた。
日中のうだる様な暑さはなりを潜め、寧ろ少し肌寒く感じた。
少し先の歩行者用信号が点滅し、やがて赤になった。サイカが横断歩道の前で立ち止まっていると、隣に30過ぎ辺りの女性と男の子が歩いてきた。親子連れだろう、子供はまだ小さく小学校低学年程度で、右手で小さなボールをバウンドさせて遊んでいる。
「危ないから、やめなさい」
「あとちょっとー」
そう言ってボール遊びをやめない子供。
するとボールは足に当たって前に勢い良く転がっていってしまった。
「あっ」
ボールを追って男の子は道路に走っていく。信号は依然赤。横から鳴り響くクラクションにそちらを向くと走ってくる大型トラック。急いでいたのかスピードが出ていて、止まるのは間に合わないだろう。母親は突然の事に硬直していた。
「しゃーねぇな」
サイカはそう言うと、男の子とトラックの間に身体を滑り込ませた。
ーーそういえば最近読んだ物語もこんな冒頭から始まったっけか。
切迫した状況とは打って変わり、サイカは暢気にも物思いに耽る。
主人公は同じように道路に飛び出た子供を咄嗟に助けるが、代わりに死んでしまう。すると気付くと主人公は異世界に飛ばされていて、そこには魔法があって、しかもひょんな事から世界を救う事になって。
「憧れるねぇ。そんな世界」
自嘲気味に呟くと、右手をトラックに向けた。
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