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貴士は無口な子だった。
産まれた時もなかなか泣かずに助産師さんにお尻を叩かれて、ようやく「ほげ…」なんて泣き出したくらいだ。
幼稚園でも、他の子がきゃあきゃあ騒いでいる中、一人、静かに本を読んでいるような子だった。
決して喋れないわけではなく、挨拶や返事はきちんとできるし、先生や友達の問いかけにはキチンと応える。
ただ、必要以上に口を開かないのだ。
貴士は無口な子だったけれど、友達からはとても人気があった。
よく秘密の相談を受けるようで、こっそり盗み聞きした時には、小学生ながら恋の相談を受けていた。それも女の子に。
中学生になった貴士は、将棋部に入った。親に似ず、頭の良い子で、全国大会で常に上位の成績を修めていた。
高校生になって、背が伸びた貴士は、バスケットボールを始めた。才能豊かな自慢の息子はすぐに頭角を現し、一年にしてレギュラーの座を獲得した。
国立大学に行くのかと思ったら、何とアメリカのマサチューセッツ工科大に行くと言い出した。
それにもあっさりと合格し、単身で渡米した。
その後、貴士はアメリカで起業、豊かな知識、的確な判断、幅広い人脈で、僅か数年で大企業に育て上げた。
さらには財閥のお嬢さんと結婚、一男二女の子を設け、幸せな家庭を築いた。
この頃には私はだいぶ年老いたせいか、病気がちになり、入退院を繰り返す生活となった。
貴士は忙しい合間を縫ってよく見舞いに訪れてくれた。
暇な病院生活、たいした趣味も特技もない私は、退屈しのぎに折り紙を折っていた。それも難しいものではない。よくある「鶴」だ。
その日、お見舞いに来てくれた貴士が、何の気なしに私と同じように鶴を折った。
いや、「私と同じように」ではない。辺と辺が僅かな誤差もなく合わさり、折り目は正しく角はピンと美しく際立っている。
「あぁ、貴士は折り紙上手だねぇ」
思わず感心して言うと、急に貴士は涙をポロポロとこぼして号泣した。
驚いた私が理由を訊ねると、貴士は感涙に咽びながら言った。
「やっと褒めて貰えた…俺、ずっと母さんに褒めて貰いたくていろいろやったけど、何やっても褒めて貰えなかった…やっと…やっと褒めて貰えた」
私は、数十年生きてきてようやく気付いた。
貴士よりも自分の方が無口だったことに。
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