―デフォルト―

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午前十時。 今日も音の鳴らない鍵盤を叩く。 一日中。 …別に狂ってるわけじゃない。 音色は頭の中に入っている。 同じ旋律を繰り返しているだけなのに、毎回頭に浮かぶ顔が違う。 その一つ一つをかき集めて、相性が良い顔同士を合わせる。 一日で幾つもの顔を合わすことが出来る時もあれば、顔自体浮かんで来ない時もある。 今日は後者の様だ。 西暦二千五十年七月五日。街は一ミリも表情を変えない。 四十三階の部屋から見える世界は、かつて東京と呼ばれた大都市の果て。 昔、どこかで見た五十年前の写真となんら変わっていない風景がそこにあった。 「文明は…止まった。なんてな」 冷蔵庫を開け、冷えたミネラルウォーターを飲む。 安い冷蔵庫はダメだ。味が付いてしまっている。 ふと壁に掛かった時計を見た。アンティーク調のそれは僕がここに越して来る前からあった物で、なかなか趣味が良い。 美しい曲線に黒の指針。木目でいて金属の放つ何とも言えない鈍光。 一度も触ったことは無いが、持ち主であろう前の住人が頻繁に手入れをしていたことは伺える。 午後一時二十分を指していた。ピアノを弾いていると時間の感覚が狂う…。 視線を窓に戻す。夏らしい陽気などとは程遠い重たい空。 開けたばかりの煙草に火を点ける。薄青い煙と空の色がシンクロして溶け合った。 「ここに来てもう一年か。早いな」
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