10人が本棚に入れています
本棚に追加
生きるという単純作業を僕に教えた、長野の山奥にある孤児院。山奥という言い方は多少漠然としつつ古臭い。が、在るべき地名は今は無い。
そこは静寂と鬱蒼に包まれた世界。密やかに佇む二階建ての木造建築で僕は十五年という年月を過ごした。
雨宮青雲孤児院。本来の名を、社会適性訓練所長野支部。全く仰々しい名称である。
生まれた頃から僕はこの閉鎖的な世界で鼓動を繰り返し、個々ワケ有りな人間達と寝食を共にした。
ある一点を一日中見つめる者。
鏡に向かって一日中話しかける者。
木に登って一日中降りてこない者。
ある男女は一日中接吻をしていたり、一方で一日中殴り合いをしている男達もいた。
(そんな環境だったから僕は今でも一日中ピアノを弾けるのかもしれない)
赤ん坊の時からここで育った者は僕の他には一人。
名前はハルという。お下げが似合う、リンゴ頬の女の子だった。
ハルという名前は、当時の職員さんが名付けたらしい。戸籍上に本名があるのかも知れないが、親不明で幼き頃から孤児院にいるような子供は実際のところ無戸籍が多い。
というのも、ハルは生後すぐの状態で駅のトイレで発見される。
その時のハルを守っていたのは淡い色彩のバスタオル一枚。母の温もり、あまつさえ母乳も知らぬ赤ん坊が、便器蓋の上に乱雑に包まれて放置されていたのだ。
十二月の雪の降る東京でのことである。
僕とハルは、同年代というのもあってよく遊んだ。
夏は外で蝉捕りに熱中し、冬は積もりに積もる雪で多彩な遊びに一日を費やす。
いつも、一緒だった。
仲の良かったケビンさんが孤児院を去る時も一緒に泣いたし、新しくやってきたトシローさんの歓迎会では二人で頑張って覚えたダンスを踊ったし、二人で孤児院を抜け出してこっぴどく怒られたこともあったっけ。
ウィルスが大流行した時だって僕たちは感染することなく生き延びた。
あの時は孤児院にいた誰もが死ぬことは無かったけど、僕とハルは一層絆を深めた。
僕たちなら、いつまでも一緒にいられると確信していた。
あの頃は…生きる、ということが喜びに溢れる毎日だったのだと思う。
だが僕が十四歳になった六月二日。昨夜から湿っぽい雨が降り続ける日にハルは死んだ。エイズだった。
僕は気付かなかった。
今思えばハルは咳や下痢を繰り返していた。
あの頃は何かにつけて『こんなのすぐ治るよー!』が口癖だったハル。
最初のコメントを投稿しよう!