叩いた扉のその先に

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 私、アリスじゃない。平野 有紀だもん。あの人、女王様なんかじゃない、園長先生じゃん。給食のお婆さんに、運転手のおじさん、それから、それから。  世界がどんどん暗くなっていくのに反して、頭の中にはどんどん記憶が蘇る。どうして私は忘れていたんだろう。でも、全部思い出せたのかどうかは、もう私は分からなかった。私の頭と体が元に戻らないように、きっと私の意識ももう戻らないだろうから。 「いやぁ、アリスごっこ、中々白熱しましたなぁ」 「有紀ちゃん、ワンピース似合ってましたね」 「ほんとねぇ。手作りした甲斐あったわぁ」 「ズバッと一振りで綺麗に落とすとは、中々腕を上げたね君も」 「この日の為に練習しましたからね」 「えーっと、明日は白雪姫ごっこか。林檎に塗るのは青酸カリでよろしかったですかね?園長」 「そうね。加奈ちゃんは白雪姫のお話が一番好きだから、きっと喜ぶわ」  そこは、日本のどこかの山奥にあった。どこからか噂を嗅ぎつけた母親は、子どもの手を握り締めて古びた洋館を訪れる。もう二度と戻ってこないことを知りながら、母親は笑顔でその扉を叩き、子どもに手を振る。  コンコン、と扉が鳴れば、彼女達は笑顔で招き入れる。数日後には冷たくなってしまうであろう子ども達を。  自分の憧れた姿で少しでも安らかに眠れるよう、彼女達は今日もまた、黙々と己に課せられた役目を演じるのであった。
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