海原十月 其の四

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 あの件に関わった当時は、僕が店員で彼が客という立場であった為、僕も彼に対しては敬語を使っていたが、相神原に来て一年の間に自然と今のような会話が成り立つ関係に落ち着いた。それでも彼が僕に対して敬語を使うのは、単に彼のポリシーらしい。その方が話しやすいからとか、キャラクターが立つからとか、紳士キャラは需要があるからとか、よく分からない理由を述べていた気はするのだけれど、僕と八十国の関係に置いて、言葉使いなど取るに足らないことである。 「些細なきっかけね……」  グラスの中の氷が音を立てる。折角の美味い酒だ。氷が溶けて味が薄まる前に飲み切らなければ勿体ない。残りをぐいっと飲み干す。冷えたウィスキーとジンジャエールの炭酸が喉の奥を刺激する。 「欲望、願望、ストレス、心情の変化……。理由は様々ですけどね。どちらかというと怪異そのものから僕らに関わりを持ってくることは稀です。それは加賀宮さんもよく分かってらっしゃるのでは?」  その通りだ。僕が彼女を「怪異」として認識するまで、僕にとって彼女は一人の人間でしかなかった。そして、僕が彼女を「怪異」として認識した瞬間に、彼女は「怪異」として僕の中に存在し、「怪異」として、僕は、彼女を、失うことになった。 「てことは、今回の場合、海原自身に原因があるってことなのか?」 「一概には言えませんけどね。その可能性は大いにあります」 「原因て、どんな?」 「いや。それを見つけるのは、どちらかというと加賀宮さんの仕事ではないですか?」 確かに。 「それと、加賀宮さん。一つ、あなたに教えておきたいことがあります。怪異を怪異として認識することができる、あなたに」 いやいや。「怪異を認識することができる」なんて特殊な能力の持ち主みたいに言われることに些か違和感を感じるが。八十国はタバコを灰皿でもみ消すとカウンターから出てカーテンの閉められた窓際へ歩いて行った。 「何故。私がこの相神原でこんな店をやっているのか、という話しなんですけどね」  八十八国はそう言うと窓に掛けられた重そうなカーテンを両側へ勢いよく開いた。窓の向こうに相神原の夜景が広がっている。 「この街には、怪異が溢れていますよ。加賀宮さん」 八十八国は肩越しに僕の方に視線を向けて、にやりと笑った。
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