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カバンを肩にかけて走る直次は、家まであと少しのところで、異変に気付いた。
街のところどころで煙が上がり、発砲音やうめき声、更には悲鳴までもが聞こえている。
「…紛争地帯みたいだ…」
彼は驚きつつも、足を止めなかった。まさか、湾岸戦争の影響がこっちまで…そりゃあない。
「はあ、はあ、つ、着いた!」
息が続かなくなりそうなところで、やっと家が見えた。家の前に救急車は来ていなかった。ということは…
災厄の事態を想像しかけた直次は、首を振ってから扉を開けた。
「兄貴!母さん!」
玄関から呼びかけても、何も返事は返って来ない。
靴を脱ぐのももどかしく、履いたまま中に踏み込んでいく。数歩進むうちに、澄ました聴覚が音をとらえた。
「ウァァァァ…」彼は、その音の中にキッチンからのうめき声に気づいた。
「誰か!助けてくれ!」兄の声だ。恐る恐る、キッチンの扉を押した。
数cmずつ、木の板と壁との隙間が広がっていく。
1世代前とは言わないが、機能性のあるキッチンではない。いわゆる主婦によってこざっぱりと整理された台所で、兄と母が取っ組み合っていた。
「あ、兄貴!」
兄は、母の両腕をつかんで踏ん張っていた。母は兄によだれを垂らす。血の混じったそれは、兄の着ている長袖のジャージを濡らし、迷彩柄を作った。血の気が失せた、死者のような顔を近づけながら、目だけは少なくとも光を帯びているのが感じ取れる。
「助けてくれ!」兄に母の顔が近づく。すると、唇の小さい母は、見たこともないような大口を開けた。犬歯が異様に発達したように見える。
あれは…なんなんだ!
とにかく兄から母をはがそうと、直次は背中から引っ張ったが、すぐ振り解かれた。彼女は尋常ではない力を帯びている。椅子を巻き込んで倒れる直次に、母は目を向けた。
「ひっ…」やたら瞳孔が広がり、毛細血管が浮き出ている彼女の目を見て、俺は短い悲鳴を上げた。
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