第1章

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我が家の祖父は寡黙だ。 喋ったところをわたしは知らない。 祖母に言わせると、以前はそうではなくむしろ快活明朗な人柄だったらしい。 戦争に行って帰ってきてから、性格が変わったらしいのだ。 とはいえ、祖母から言わせれば、祖父は優しい夫にはかわりはなかった。 口を開けば、祖父の話ばかり。 明るい祖母を誰もが慕っていた。 その祖母が病魔におかされ余命幾ばくもないと知らされた時、祖父以外、みんなで泣いたもんだ。 三人の子供たちに、孫が六人、みんなで泣きに泣いた。 泣かなかったのは、祖父ひとり。 なんて冷たい。 表だっては言わないが皆がそう思っていた。 あの時、までは……。 祖母の容態が悪くなり、いよいよかと皆が覚悟するなかで、祖父は台所に立って何かやっているようだった。 親戚達もみな祖父のことは無視していた。 病院へ親戚一同が集まっていたところ、祖父が慌てて駆けつけた。 今更と露骨に失笑する親戚もいる中、祖父は何かを持って祖母の病室へ入った。 祖母に向かって叫ぶように喋る祖父を、この時、皆が初めて見た。 意識が混濁して、いくら子供たちが、孫たちが呼んでも目を開けなかった祖母が目を開け、しっかりと祖父の方を見た。 「カカァ、コレ食えば元気になる」 祖父の声に見たモノはいびつな形をした真っ白いおにぎりだった。 「父さん、母さんはモノを食べれる状態じゃないのよ」 長女が叫べば、それを制するようにベッドから起き上がろうとする祖母の姿があった。 祖父は優しい仕草で祖母を起き上がらせた。そして労わるように背中を撫で、不恰好なおにぎりをその手に握らせた。 祖母は震える口でおにぎりを一口食べると、幸せそうに微笑んだ。 「あぁ、美味しいねぇ」 今にも黄泉の世界へ行こうとしてる祖母をこの世にとどめるべく、祖父と祖母の絆の強さがおにぎりには込められていた。 そうとしか思えない。 見ている皆がそう感じ思った。 無言で頷く祖父に、祖母の応えは無かった。 最後で最高の言葉を残し、祖母は旅立った。 祖父はそのとき初めて、人前で涙を流した。 愛する妻の最良の言葉を胸に……。 「あぁ、美味しいねぇ」
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