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 きっかけは、些細な事だったように、今となれば思う。  ただでさえ反りの合わない母親と、何度目かも知れない口喧嘩。  多分だけど、大方またお向かいの臥藤さん家の娘さん、また学年一位なんですって、みたいな。  何かそんな遠回しな嫌味が、たまらなく癪に障っただとか、多分そう言う事だろう。あるいはもっと、何でもないような事だったのかも知れない。  とにかく私の中の、伸び切ったゴムひものような堪忍袋の緒が切れて――いやもう覚えていないし、到底思い出したくもないけれど、強い口調で言い返した、そんな記憶が残っている。  後味の悪い記憶だ。私の日常から色素を抜いて、大きなハンマーで片端から砕いて回ったかのような喪失感が付いて回る。  殴ったら、殴った方も痛いなんてよく言うけれど、口喧嘩にしたってそれは同じ。  言った方にも、言葉にできない苦々しいモヤのようなものが残って、こうしてふと冷静になると、やりきれなくなる。  その癖そんな事、次に悪口を言う頃には綺麗さっぱり忘れてしまうのだ――背中を滑らせ、水面に鼻の少し下まで浸ける。  だからたまらず、飛び出した。私は。あらゆる事から目を背け。馬鹿だから、どうしようもなく。  多分時間と距離が最大の薬になる、なんて。そんな事を思っていたのだろう。七月分のバイト代の丸々入った財布を掴んで、最寄りの駅の、たまたま来ていた特急電車に飛び乗って。  街を越え、山を越え、海を越え。やがて電車を幾つも乗り換え、幾つもの県境を越え。  駅に降り立った時、聞こえてくる言葉にハッキリと違和感を覚える程の距離の彼方のこの街に来た時。  ――ようやく。私は気が付いたのだ。  ――――しまった。帰りの運賃、考えていなかった、と。  私は、水面にぶくぶくとあぶくを浮かべた。その行いの行儀が悪いだなんて事は、知っていたけれど。  自分のした事をこうして並べると、すごくすごく馬鹿みたいで、何だかとても気恥ずかしく思えてきたのであった。
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