天邪鬼の真言

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あの日。 その人が他の男とくちづけをしている瞬間を眼にした。 深く、それだけで愛情が感じられる程の愛の表現。 深く。 長く。 永遠とも感じられる一瞬。 その人が”私”を視た。 瞬間、押し付けるように唇と唇を重ね合う。 闇が産まれた。 私自身を呑み込む程の大きな闇。 暗転。明滅。また暗転。 それが眩暈だと気付いた時には、鞄が手からずり落ちていた。 ゴトリと、アスファルトに転がる仕事道具。 妻から貰った宝物が、地に転がる。 「っ……!」 逃げるつもりだったのに。 立ち去るつもりだったのに。 無情にも世界に響き渡る音はその男とその人にも伝わった。 驚愕する男と嗤うその人。 ーー止めろ。 心の波が、空気の波となって現実に拡がる。 焦るように身を翻した男を追うつもりなど毛頭ない。私の”世界”には、その人しか映らない。 風に靡く髪。 薄く歪む微笑み。 上から下へと続く甘美な曲線は、細く揺らめいていた。
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