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アスレチック・クラブに来たのは女磨きのためで、男を見つけるのは二義的な目標に過ぎず、先ずは「男性を惹きつけてやまない魅惑的なボディー」をこそ手に入れる計画だ。
急がば廻れ、とさくらは教えられたように腹筋で押し出すようにして深く息を吐いた。
最後に一走りしてから帰ろうかとトレッドミルに向かう。先ほどインストラクターから操作法を聞いたはずなのだが、どうにも設定の仕方がわからず器械を眺めて困っていると、男性の声がした。
「お手伝いしましょうか?」
声に振り向くと、なんとランニングの君、ランニングを着たイケメンだ。
いや、並の男かもしれないけれど、日灼けした体躯に白いランニングが眩しく、正月には必ずテレビで応援することにしている駅伝の選手を彷彿とさせる。
「すみません、初めてなものですから」
さくらが恐縮して頭を下げると、その男性は簡単な説明を付け加えながら器械をセットしてくれた。感謝を述べてさくらはトレッドミルで走り出したが、実は頭の中は隣で走っている男のことでいっぱいだ。
まさか横を見て走るわけにはいかないので前面の窓を向き、暗くなりはじめた新宿の街を見下ろしているのだが、心の眼では隣の男ばかりが気になっている。
もしかして相手もこちらを時おり盗み見ているかもしれないと想像すると、自ずと身体の各部の神経が張り詰め、なるべく素敵なボディーに見せようと胸を押し出しお腹を引っ込めて走った。
相当走ったような気がするが、隣の男は一向に走りやめる気配がない。
じゃあ、もう少し、とさくらも走り続ける。馴れないジョギングで疲労したせいか、意識が朦朧としはじめ、ふと、隣の男と一緒に同じ目標に向けて走っているような妄想にとらわれた。
彼はもはや見知らぬ男などではなく「人生を共に歩む(走る!)パートナー」なのだ。不思議な快感に捉われて、さくらは何かにとりつかれたかに足を進めた。
「さくら、もう帰ろうか」
背後から聴こえた紀香の声に、さくらは我に返った。
トレッドミルを止めて降り立つと、はたして隣の男はまだ走っていたが、その耳にはイヤホンが挟まれており、無言で盛んに口を動かしているところからすると、どうやら語学のテープでも聞いて学んでいるらしかった。
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