第1章

11/33
前へ
/33ページ
次へ
 皮が硬い青い実が便ごとに黄身を増し、やがて実が黄色に変わったときが、酸橘便の終わりであった。その実の移ろいに父は阿波を偲んでいた。  今年はまだ伯父からの酸橘便は届いていない。輪切りした実を摘まみたっぷりと秋刀魚にかけた。ほのかに香る酸味が口いっぱいに広がり、初物の秋刀魚がさらに美味になる。こんな実がなる阿波とはどんな国なのだろうか。  大きい川だ。これまでにこれほどの大川は見たことがなかった。満々と水をたたえた川面に靄が降り、一条の帯になってゆっくりと流れて行く。  四半里先には紀伊水道へ流れ出る河口であった。目を正面に転じると靄帯の上に家並みが見え隠れする。その先の小高い山の樹木の間から、三層の天守閣が見えた。二十七万石にしてはこじんまりとした城である。山下に城郭があるのだろう。  この川は汐入り川で今は満潮らしく動きは止まって見えた。凪いだ川面を水鳥りの群れが、羽を休めて浮かんでいる。  渡しを下りた好太郎は、助任(すけとう)川に沿って城山の周囲を一回りした。この助任川も大川の支流の一つで、さらに福島川、新町川、寺島川などがある。  そのうえに人工の堀割を二本通して囲み、中に城郭を築いていた。その城郭を家臣の屋敷が取り囲み外敵に備えている。  それにしても早く着き過ぎたようだ。好太郎はひと思案入れた。  ──思ったより城域は広そうだ。  高い所から城下を見てみるかと、城山の向かいの小山に足を向けた。後で知ったことだが、その稜線が眉の形に似ていることから、紀貫之が記した『土佐日記』に眉山として詠まれている。  その眉山の下に社があった。鳥居の掲額に春日神社とあった。奈良春日大社の末社であろうか。  石段を登りさらに上へと登った。中腹まで上がったところで城下が一望できた。  大川以外にも太い流れは三筋あった。その川に流れ込む川筋は数多い。いわゆる中洲の上に出来た城下町だった。 前方は紀伊水道、打瀬舟が数十隻浮かんでいた。
/33ページ

最初のコメントを投稿しよう!

0人が本棚に入れています
本棚に追加