第1章

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 それにひきかえ脇息に肘をつき寛いでいる藩主は、何十年先のことなど知ったことかと横を向いていた。今日明日にもころっと死んでも、誰も悲しまないほど在位の長い老人なのだ。  何事にもほどほどというのがある。これが家中の総意のようなもので、すでに世継ぎ予定者三人が、このしぶとい老人より先にあの世とやらへ早逝していった。  この爺殿の生き甲斐は、若い腰元を次々と替えては、いまだに種が尽きず、世嗣候補者の一番下の世子はこの春生まれたばかりの赤児である。  ──この殿の身代わりが百人でも国許におれば、この先の難局など何ほどのこともあるまいに……。  と言わぬばかりの目で加嶋家老は殿を睨んでいた。  武力で藩が奪われることがあっても、よもや男オンナの急増で、藩存亡を左右しかねないなどと、真面目に考えている藩士などまずいない。  江戸家老がおおっぴらに唱えても、また加嶋老人の心配性が疼きだしたぐらいにしか反応しないのである。  呼び出された奈間倉好太郎こそいい迷惑であった。何か事あるごとに〝お役目だあ〟と引っ張りだされてきた。  ここのところ声が掛からず、暇つぶしをかねて伊香保温泉にでも行こうと、遊び仲間と話しが決まった矢先の呼び出しであった。    それにこれまでの〝お役目だあ〟はご府内で片がついていたが、孫太兵衛の話しでは国表だという。ぞっとするほど遠すぎる。  江戸から阿波まで百六十六里、普通に歩いて二十日余りの道のりだ。遊山気分で行くなら一ヶ月近くは掛かるであろう。  夏のさかりの道中を思うだけで逃げ出したくなる。とっとと伊香保へ行っていたら良かったのだ。と思ったが後の祭りだった。  何を好んで〝お役目だあ〟は好太郎ばかりに回ってくるのか。たまには倅の尊太夫へ振ればいいものを。あの従兄弟なら腕は立つし、糞真面目ときている。堅い仕事には打って付けではないか。少々融通が利かぬきらいはあるが、話して分からぬ朴念仁ではない。  
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