第1章

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「公江どのには恨まれそうだな。まあ、察するところお主の女好きが心配でならんのであろうて」 「なるべく早く片付けて帰って来ますよ」 「国表では町奉行与力、東條圭之介を訪ねよ。信頼できる男だ」  上屋敷を出た好太郎は、その足で湯島へ向かった。天神社下に住む乾錬三郎を訪ねるためである。ときどき連れだって近場の温泉宿で息抜きしている。  十日ほど前に田崎源之介を加えて三人で、秋口には伊香保へ行こうと決めていた。乾も田崎もともに旗本の三男坊だが、田崎源之介はいまもって部屋住みで、入り婿先を物色中といったところだ。  平たくいえば無職で、町道場二軒の師範代を掛け持ちして小銭を得ている。一方、乾は昌平坂学問所を終えると、医学の道に進み長崎に留学した。五年後に帰府したのを契機に天神下で開業した。  開業早々から患者があるわけもなく、藩主の一門である好太郎の推挙で藩医のひとりに加わった。いまは世間の評判も良く患者も多い。  長崎帰りの気鋭の医者として研修生も五人いる。最近になって嫁取りの話しも持ち上がったが、どうやら意中の人がいるようだ。錬三郎と同じく長崎で医学を志した人で、帰りしだい祝言するらしい。  そんなこんなで今のうちに羽根でも伸ばしておこうと約束ができていたのだ。上野の国(群馬)榛名山の東斜面にある里湯伊香保だった。  暑い。少し歩いただけで吹き出す汗でぐっしょりとなる。上野寛永寺の鐘が暮れの六つを打った。湯島天神社の鳥居をくぐり、本殿の前に立った好太郎は柏手を打ち、数日後に出立する道中の無事を祈った。  ここは馴染みの神社だ。乾、田崎と三人で、昌平坂学問所への行き帰りに寄り道して遊んだ所だった。また、足腰を鍛えるために、女坂男坂を駆け上り下りしたところでもある。  眼下には蓮の葉で池面が青く覆われた上野不忍池が広がっている。池につき出た小径のさきに、小じんまりと佇む弁財天社が見えた。
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