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若夫婦の元に子供と犬が来て間もなく、大家が怒鳴り込んできた。「子供も犬もごめんだ、子供はうるさいし犬は家を汚す。どこかへうっちゃってくれ!」と。
けんか腰の口調の大家の話を黙って聞いていた幸宏の様子が何とも静かで、端で聞いていた幸子ははらはらした。それまでの幸宏なら言われた二乗三乗で大家に言い返し、けんもほろろな扱いをしたことだろう。が、彼は「わかりました」と一旦大家を返し、その足で行動に出た。
子供たちが暮らせるようにあらゆる伝を頼って根回しをし、ついでに犬もお願いしますと頼み込み、大家を説得したのだ。怒鳴り込まれた日から数えてわずか数週間。その間、子供たちは手元に留め置き、犬は慎の家へ預けた……いや、世話を押しつけた。
「慎君のところに頼もう!」と犬を抱えて駆け出した夫を追いかけ、実家から届いた米俵をリヤカーに乗せて子供たちと三人で慎の家まで訪ねた。幸子と子供ふたりで鼻歌を歌いながら辿る道は遠足気分だった。
「……遠慮させて頂こう」
「あれ、怒ってるの? 子犬の面倒見させたから」
「やかましい」慎は即答する。
「僕はね、あの子たちを正しい名で呼んでやりたいだけ。だから必要な手続きは踏むし、逃げも隠れもしないよ」
広言していた幸宏の願いは叶った。
子供たちの名前が判明した。
が、もうひとつの、家族として引き取り、暮らしていくという願いは叶えられなかった。
子供ふたりの出自がわかり、身元を辿る過程で、人は犬猫とは違うことが明確になった。
そうたとふう、それぞれの身内が生死も含めふたりを探し続けていたことがわかったからだ。
木幡や幸宏の推察通りだった、敗戦間近に落とされた爆弾から焼け出されたそうたとふうの家族は、それぞれ身内の安否もわからないまま東京へ辿り着き、残ったのが子供たちふたりだけだった。
同じ方向へ流れた者同士という共通項以外ない少年と少女は、図らずも木幡の頼み通り、それぞれを待つ『家族』の元へ発たなければならなくなった。
まるでままごとのような家族ごっこは、とても短い時で終わりを遂げた。
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