【16】苟且

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◇ ◇ ◇ 「私、行かないんだから!」 少女は口元を真一文字に引き結んで怒った顔をしていた。 ふたりがそれぞれの生地へ発つ前夜、心づくしの仕度を調える幸子の手伝いを、少年は何も言わず、もくもくとこなす。 幸宏も腕を組み、大きな子供が拗ねたような顔を隠そうともせず、煙草をふかしてその様子を見ていた。 「ねえ、先生! 先生も、いやだよね、ふうがいないと、さみしいよね?」 「ああ、さびしいよ、富美ちゃん」 幸宏は少女を、『ふう』ではなく、『富美』と呼んだ、正しい名前で。 「知らない、富美なんて! 聞いたこともない名前でよばないで!」 「止めろよ」少年はぴしりと言う。 「僕たち、もうここにいちゃいけないんだ」 「どうして!」 「帰る家があるから」 「会ったことのない、知らない人がいるところなんて、私の家じゃないもん! 先生、たすけて、ふうをたすけて!」 「わがまま言うなよ!」少年はイライラとして、手に持つものを彼女に投げつけた。 当てるつもりはなかったので彼女には届かない、けど、少女は、きゃあと声を上げ、べそをかいた。 「あたし、どこへ言っても邪魔者なんだ、だから追い出される!」 「違う!」幸宏は叫んだ。 「でも、先生も、引き留めてはくれないんだもん!」 「それは……」幸宏は言葉に詰まった。 「仕方ないだろ!」少年は地団駄を踏む。 「僕らがここにいつまでも居座ると、先生たちに迷惑がかかる! お巡りにつかまるかもしれないんだ!」 「ちょっと待って! そんなこと誰が言ったの!」幸宏は少年の襟首をつかんで引き寄せた。 「ここに来た役人たちだよ。僕たちは他人だから、いつまでも僕たちがいると先生は難しいことになるだろう、えっと、法律イハンだって」 「ばかな」 幸宏は口を何度も開けて閉じてを繰り返し、それでも二の句が継げなかった。 「先生がつかまるの、いやだろ、ふう」 「……うん」 「だから、わがままはもう言うな、『富美』」 「わかった、『宗太』」
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