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満員の観客席。空調が入っているはずなのに、そこはまるでサウナの中にいるような暑さだ。
健太は額にじわりと浮かぶ汗をタオルで押さえながら、決勝競技が行われているプールへビデオカメラを向けていた。
本来なら試合の撮影は西條の担当なのだが、当の西條は健太の隣で息を詰めてじっとプールの水面を見入っている。
さっきは「応援するしかない」と開き直ったように言っていたが、やはり西條も緊張しているのだろう、稲木のレースが近づくにつれ、だんだんと言葉少なくなっていた。
「あ、来た」
西條がポツリと呟いた。
健太がビデオカメラを覗くと、ちょうど稲木がプールサイドに入ってきたところで、こちらも西條と同じく緊張した面持ちをしている。稲木は自分の泳ぐコース前までやって来ると、スタート台後ろに置いてある椅子へ腰をおろした。
「三コースだね」
ビデオカメラを構えたまま健太が言うと西條が黙って頷く。
その表情はまだ固いままで、健太は大丈夫だよと片手で西條の手に触れた。
決勝に進んだ順位で中央のコースから泳ぐ場所を振り分けられるため、たいていは四、五コースあたりが優勝圏内なのだが、稲木の泳ぐ三コースもじゅうぶんに優勝台を狙える場所だ。
今回は順位よりも全国大会へ出場するための標準記録が出せるかどうかの方が重要だが、それでも少しでも上を狙いたいと思うのは稲木や西條だけではない。
健太もビデオカメラを持ち直しながら、レンズの向こうにいる稲木の姿をじっと見守った。
シンと静まり返った室内にスタートを告げる電子音が鳴り響く。
一斉にスタートを切った選手らがスタート台を蹴る音を合図に、会場内がワッと歓声に包まれた。
周囲が応援で湧き上がる中、西條はグッと息を詰めたまま微動だにしない。それでも西條の稲木へ対する「頑張れ」という気持ちは隣にいる健太にも痛いほど伝わってきて、健太も撮影をしながら心の中で稲木へ声援を送った。
(すごい……さすがは稲木さんだ)
もともと大柄な体つきではあるが、豪快なフォームで泳ぐ姿を見ていると普段よりも稲木のことを大きく感じる。
それだけではない。健太がカメラ越しに見てもわかるくらいに、稲木の泳ぐ姿は力強くて全くペースが落ちない。
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