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『参ったな……。』
静まり返った部内に、その声は小さく響いた。
『……高梨さん、もう帰る?』
遠藤部長はパソコンの画面を見ながら、肘を突いた片手を額に当てていて。
『いえ、旅費精算があるので、もう少し残りますけど…何かありましたか?』
『ちょっと…いい?』
遠藤部長が小さく指し示したのは、部の扉の向こう。
なんとなく、呼ばれた理由が予想できて、無意識にふうっと息をついた。
『ごめんね、定時過ぎてるのに。いつもお疲れさま。』
『いいえ、こちらこそ…。マイペースですみません。』
どことなくぎこちなくなってしまうのは、遠藤部長も同じようだ。
『それで、この前話した人事の件なんだけどね。』
予感的中。
さっきついた息を、今度は吸ってお腹に力を入れた。
『はい。』
『本社人事は、高梨さんをパリにと言っていて、私個人としてもパリ支社としても、本社の意見に賛成なんだ。それはこの前話したよね。』
『はい、伺いました。』
あれから約2ヶ月が経つけど、私はまだ決めかねている。
毎日、2人が笑顔で過ごすためにどうしたらいいかって、そればかり考えているけど、なかなか答えが出せなくて。
部長とも話し合ったりしてきたけど、やっぱり最後には私が決めることだって言ってくれる。
『回答まではまだ時間が貰えそうなんだけどね。それよりもちょっと、動きがあったみたいで…。』
『動き、ですか?』
デスクで見たのと同じポーズで、遠藤部長は額を支えた。
『この人事に、反対している人がいてね。いや、反対と言ったら言葉が違うかな……要は、首を縦に振ってくれない人がいるんだよ。』
仕事でお世話になった、社内の色々な人の顔と名前が次々に浮かんでは消えていく。
まだ決まってもいない人事の話を知っている人なんて、限られているから…。
部長のことが真っ先に浮かんだけど、私が決めることだって言ってくれてるし、それに日本からパリに来た時と違って、今度はパリから日本に戻るのだから、今の私は遠藤部長の部下で……。
『誰だか分かる?…………三浦部長だよ。』
『部長が?!』
部長は、賛成も反対もしないって言っていたのに。
私が決めた、その気持ちにだけ賛成するって言ってくれているのに。
パリで仕事をすることをやめて、戻るようにってことなの?
それが、2人とも笑顔でいられる選択肢なの?
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