第1章

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ただ面倒臭くて鬱陶しいと思うだけで、人種差別を受けたところで、屁とも思わなかった。 過保護に育てられていたら、今頃どうなっていたのか、想像すらできない。 また、母親自身も在日だと言うことをコソコソ隠すタイプの人ではなかったのも、良かったのかもしれない。 私は物心ついた時から、自分が在日だと言うことを理解していた。 特別、母から話があったわけではなく。 福岡に住んでいた祖父が生きていたとき。 毎年、法事のために、福岡に帰っていた。 福岡の祖父の家で、親戚一同が全員集まる。 親戚の叔父さん伯母さんの口から、自然に韓国語が出ていたし、法事は韓国式のやり方だった。 韓国語を話す叔父さん伯母さんを、何ならカッコイイと思っていたし、韓国式の法事はとても盛大で凄い品数の料理が並ぶ。 どれも美味しくて、韓国料理を食べるのも楽しみだった。
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